隣のおっさんがくさい

世に対して不平不満を言いつつも何とか楽しもうと試みる弱者のブログです。

【映画ネタバレ】「恋は雨上がりのように」可愛いけど可愛くない

みなさん、こんにちは

カオナシです。

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今回は「恋は雨上がりのように」を見たのでそれについて書いていこうと思います。

 

 

実際のところ、悪いところはなかったです。

 

しかし原作大好きな私としては肩透かしを食らったといいますか。。。

まぁ、こんなもんかってのが素直な感想です。

 

いや、よかったんですよ。

 

映画としては良かったんです。

 

原作の大事なところもちゃんと抽出していますし、多少の改変も全然気になりませんでした。キャストさんも特徴をとらえていて、映画「渇き」とはまた違った魅力の小松奈々は可愛かったですし、「WOOD JOB!〜神去なあなあ日常〜」で知り「今日から俺は」や「TOO YOUNG TO DIE! 」にも出ていた清野菜名も可愛い、ソフトバンクのCMで知った松本穂香も可愛いし、山本舞香はもともと好き。

「アイアムアヒーロー」や「探偵はBARにいる」で知った大泉洋のキャスティングもバッチリだったと思います。それぞれみんな似てました。

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演技も脚本も文句ありません。

 

強いて言うなら映画と漫画、表現できる幅が違うってことだと思います。

 

マンガだけで許される表現もあれば、映画でしか出せないリアリティもあるという。どちらの方が優れているとかの話ではなく。

 

例えば、これです。

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原作だと神様視点で見ているような感覚なわけですが、映画だと店長目線というか普通に睨まれているだけなんです。

「恋は雨上がりのように」の良さのひとつって店長が思っている事と主人公が思っていることが真逆にある事だと思うんです。

主人公の不器用さと店長の人の良さというか。

いうたら、主人公の不器用さが感情込みで見えているので全部可愛いんです。

 

小松奈々もすごい可愛いんです。

でも、睨んでいるように見えて実は照れてるって表現はそのワンシーンだけでは表現できないので、主人公の魅力が、可愛さが表現しきれていないと私は思いました。

 

つまり、可愛いけど可愛くない!

 

素材を生かし切れていない感が。。。。

小松奈々は可愛かったんで、キャストの問題という事でもないでしょう。

笑った小松奈々もすごい可愛かったですし

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伝えきれてない感がすごいのは自分でも重々承知なんですが。。。

 

後は、いい意味でも悪い意味でも軽く感じてしまったことです。

キャラクターの一人一人の葛藤シーンもそうです。(個人的には加瀬も好き)

自分バカなんで、何度も言われないとちゃんと咀嚼して飲み込むことができないんですよ。

 

だからといって何度も表現するには2時間ではあまりにも短い。

逆に詰め込んだら詰め込んだで、話の流れが無理やりになるし、くどくなりやすい。

 

そこも自分のペースで読める原作との明確な差だと思います。

 

そういった意味で、軽いと表現させてもらいました。

 

しかし、映画だったからこそ良かったポイントもありました。

輝く青春時代といいますか。

適当な言葉が出てきませんが、いうたらインスタグラムみたいなもんですよ。

とてつもなくエモいんです。

 

青い空、部活の音、授業、恋愛

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あー、エモいエモい。(もはや、エモいって言いたいだけ)

走る疾走感も映画ならではでしょうし、とても良かったです。

 

これをエモいと言わずしてなんという。 

この曲もエモい

 

最後に、映画を見た人はぜひ原作も読んでほしいです!!!

主人公と店長以外にもみんなそれぞれ味があるのが分かります。(特に加瀬!)

アニメもあるみたいなんで、私はそちらも目を通してみようと思います。

 

今回はそんなところで

 

それでは、また(^^)/

 

 

 

 

久しぶりに友人の定義について考えて、垂れ流す

前もって言わせていただきますが、この記事は私の考えを垂れ流しにしたもの・自分なりに答えが出ていない、言わば作り途中の迷路(ゴールなし)のような記事なのでそれを留意したうえで読んでいただけると幸いです。

もし、自分が第三者でこの記事を見つけ読んだとしても途中で「結果、なにがいいたいの?」ってなると思うという事だけはあらかじめ言っておきます。

 

みなさん、こんにちは

飲食店とかで3人でカウンター席に座る場合、真ん中にはなりたくないカオナシです。

これ、生まれて今まで全然考えたことなかったんですけどこれからは避けたいところです。

というのも、自分が話のターンになったときに左右どっちを向いたらいいか分からんくなるんですよね。交互に見ながら話をするにしても「こっちを向き過ぎだから、そろそろこっちへ向けよう」とかそんな器用なこと出来ないと思ったんです。

 

こんなの別に誰も意識してないから気にするのが無駄って思う人も多いと思うんですけど、そんな人は、ちょっと今までの自身の過去を振り返って考えてみてほしいんです。

 

今までに、複数で会話しているときに声を向ける矢印が偏ってる人に遭遇したことはありません?仲の良さによっても起こりえるんですが、なんか伝言ゲーム?みたいになるあれです。

 

3人でしゃべっているように見えてA→B→CやA→B←Cみたいな。

Bがいなかったらこの場の会話成り立たないんだろーなー的なあれ!

 

Aである私はCにも振ってみたりもするんですけどその返答もBを介してというか、Bに向かって話しているように感じた状況が人生の中で何度かありました。

 

相手からすれば、わざとではないのでしょう。

こちらを避けるそぶりもありませんし、2人きりの時であれば会話も全然できましたし。

 

無意識的に好意の深さによる優先度がここに表れているんだろうと私は思ったわけなんですけど、思った以上にあれ、傷つきます。

 

体の向きやら、アイコンタクトもそうですけどスマホの画面を見せつける時もそうです。「この写真見て」って片割れに見せるんだけどこっちにスマホが向くことはありません。そんなときは、「どれどれ~」とさりげなく割り込んで見たこともありましたが、あれも正直無意識でやっているのでしょう。

 

こういう時は単純に私が嫌われている可能性についても視野に入れて考えてみたりもするんですが、それについてもいまいちピンとこないことが多いです。(話をしたくないかと思えば向こうから話しかけてきたり等)

 

そんなわけで、「あぁ、無意識でやってるのか」と私はひとつ納得することにしたわけですが、それはそれで悲しいのは変わりませんし、悪気がないからこそ、さらに傷つくこともあります。

 

だからこそ、最初の話に戻りますが私が真ん中になったときに、左右の相手に自分と同じ思いはさせたくないと思うんです。当然無意識なわけですから、私自身も例に挙げた人たちのように無意識に優先度をつけて片方を贔屓している可能性が十分あり得ます。

 

だからこそ、それは避けたい。たとえ無意識だとしても、私は例に挙げた人達が気にくわない対象であることはたしかであり、自分もそうなりえるなんて考えたらほんとに耐えられないわけです。

だから、せめて周りにそんなことを思わせる当事者にはなりたくない。

そういうわけで、私は今後真ん中に座る事は避けます。(決意)

 

とりあえず、言っておきますが上記のエピソードはこの記事のテーマと全く関係ないです。

 

ほんとうに、ただ書きたいことを読みやすさ等々を無視して思いつくまま書いているので、読んでいる人からすればほんとに苦痛だと思います。

 

カオナシはもっと話をするときに要約するべき」と言われたこともあって気を付けてはいるんですけど、どうにも考えてしまうと止まらないんです。

 

伝えたいという思いが先行しすぎるあまりに、説明に説明を加えさらにその説明を理解してもらうためのたとえ話とかをしてしまったりするんで、相手は話のどこに焦点を当てたらいいかわからなくなることが多々ありました。

 

でも分かっているのに辞められないのは、たまにある、相手が自分と同じような事を考えていて話が爆発的に盛り上がる現象に対する快感が忘れられないからだと思います。マイナーな趣味の仲間を見つけたようなあの一体感といいますか。

 

カオナシは考えすぎだよ」っていうひともいました。

でも、議論ほど楽しいものはないと高校時代の私は思いましたしそれは今後も変わらないのでどうしようもありません。

それについて考えること自体無駄だと思う人からすれば「どっちでもよくない?」とか散々言われてきましたし。「ひとそれぞれ」というひともいましたけど全然面白くない。こっちはそんなことわかったうえで聞いてるわ、はげ。

「そうかもねー」って軽く乗ってこられるのも全然面白くない。

 

実に、面白くない。

 

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 聞いてほしい議論があるよ~♪

いつか言いたかった議論があるよ~♪

それは特別なことなんかじゃないんだ~♪

そう それは難しいことなんかじゃないんだ~♪

ただ 議論を広げて~♪

ただ 答えを待ってたんだ 答えもなく~♪

いま僕は行くのさ 議論の向こう側へ~♪

僕の向こうへと~♪

さぁ 飛び立とう~♪

 

出来ることなら否定して欲しいし、へ理屈でもいいんで自分を納得させて欲しいんです。別に相手を論破したいわけでもないということは言っておきます。

自分の中で答えをだすにあたって、どうしても自分にはない発想が欲しいんですよね。

 

そんなわけで、私はたまに議論を吹っ掛けます。

 

 

ここまで話しましたけど、まだまだ本題には入れてませんね。。。

 

ここで、本題に戻して友人の定義について考えたいんですけど、これがほんとに難しい。いくら、議論をまわりに振ってもこの議題って楽しく議論できた試しがないんです。(それには触れちゃいけない暗黙の了解でもあるんですかね)

 

そもそも、なぜ友人の定義について考えるかってとこから考えていきたいと思います。そもそも、SNSを見ていると「友達・親友が欲しいだとか」よく見かけるわけです。

これをみていて、そもそもこの人たちって友達の定義自体あいまいで分かってない人たちなんじゃないかなって私は思ったわけです。

少なくとも自分もそうですし。

 

例えば彼女が欲しいとかであれば、告白して付き合うってなったら彼女みたいな一応の指標があったりしますが友人や親友ってそもそもがすごい曖昧なものな気がするんです。

 自分の中で答えがないものを求めても、手に入ったという実感は湧かないと思いますし。

だからこそ、せめて自分の中だけでもこれは友人であると定義づけるものが必要だと思い友人の定義について考えるに至った次第です。

 

中には何でも話せるのが友達っていう人もいたんですが、少なくともこれだけではないでしょう。関係性が遠いからこそ話せることもありますし、占い師に何でも話せるから友達という事でもないことは明白でしょう。

つまり、これだけでは何か足りていないことはわかります。

 

次に結婚式に呼ぶかどうかみたいなのも考えました。

しかし、自分の場合友人だからこそ祝ってほしいという思いは別にありません。

もちろんお祝いされたら嬉しんですけど、そもそも結婚式って祝われることに能動的じゃないですか?サプライズとかで受動的に祝われるのとは別で、こっちから「祝ってや~」っていってるようなもんな気がするんですよね。

そうすると仲がいい人ほどわざわざ呼ぶのは忍びないという思いも湧いたので、これは惜しい気もしつつピタッと来る定義には感じませんでした。

ちなみに、挙げるにしても海外で家族だけで挙式がいいななんて思ったりしてます。(せめて家族を入れるのは相手の家族に対する礼儀というか)

 

次に自宅に泊める・二人きりで遊びに行くで考えてみます。

自宅に泊めることにおいてはそれほど仲が良くなくても泊めれる人もいるでしょうから難しいところですが、ひとによっては一つの目安としてはナシではないのかもしれません。個人的に2人きりでも気まずくないかどうかというのも重要な気がしたんですけど、仲が良いとおもっていてもどうにも沈黙が怖いのか「何か話すことないかなー」と私自身思う事がしばしあるので、これもどこか惜しいとこです。

宮迫風にいうとオフホワイト。

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相手がゲロ吐いたときに片付けられるかとかも考えてみたんですけど、これは私自身仲が良くないであろう人でも片付けれちゃうんで前提として違いました。

 

 

先ほどまでは演繹法で考えていましたが、ここはひとつ帰納法的に考えてみます。

唯一私の中で親友を挙げるとすれば浮かんでくるのが高校時代に一人だけいます。

なぜ、そいつであるか考えられる答えとしては、考え方が自分に似ているってことですかね。

趣味嗜好もそうですし、議論も好きです。面白い奴でもありました。

 

とりあえず、こんなところで。

てかほんと、もしここまで読んだ人がいたとすると頭おかしいじゃないかって思いますし、いい友人になれそう。

 

それでは、また(^^)/

 

 

【映画ネタバレ】「デーモン・インサイド」ブラックジャック思い出した

みなさん、こんにちは

カオナシです。

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今回はサイコパスホラー映画「デーモン・インサイド」を見たのでそれについて書いていこうと思います。

 

感想はと言うと、微妙です。

 

えっと。。。

 

微妙です。

 

ホラー映画を好んで見る人からすれば、あーこういうやつねって感じになることまちがいなし。

そもそもサイコパスに関していえば、今の今まで散々題材として取り上げられています。「エスター」や「羊たちの沈黙」とか、邦画で言えば「悪の教典」や「ヒメアノ~ル」とか、片っ端から挙げていったら結構な数あります。

あまりの多さに調べていて自分もびっくりしました。

私の大好きな「ムカデ人間」もいうたらサイコパス外科医のお話ですし。

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サイコパス自体擦られ過ぎていて、もう何個か変わった設定が欲しかったというのが正直な感想です。

 

そもそも私がサイコパスという題材を好きすぎて見まくってしまっているという問題もあるんですけどね。。。。

 

あとは、ホラー映画としてびっくりするシーンがほぼないです。

「ゲット・アウト」でいえば序盤の鹿さんが飛び出してくる等の不意にくるやつとか、「リング」でいえば最後の貞子氏がテレビから出てきて大音量ドーンのくる!くる!くる!きたー!のやつまで色々あるとは思うんですけどそれがこの作品には全然ないんですよ。(最近はくる!くる!くる!こない―、と思って安心したころにきたーってのもありますね。)

敵から逃げ切ったと思って安心して振り返ったら、いるとかそういう演出をしようと思えばいくらでもできるはずなんですけど、怖さが上昇してきたと思ったらそのまま尻すぼみしていくの繰り返しで、そこに関していえばスゴイもったいない気がしました。

 

あと、これはがっつりネタバレなんですけど、いうたらコレ「サプライズ」のレズバージョンみたいな感じなんですよね。あれは怖くないにしてもまだスプラッター映画としては勢いもあったし、ある種の爽快感があったんで、ある程度作品としては成り立っていたのかなとは思えたんですが、今作に限っては女同士になったことで力関係がどっこいなので絶望感があんまりない。割と何とかなりそうな感じが出ちゃう劣化版みたいな仕上がりでした。 

だって狩られる側のジュールズが強すぎるんだもの。女VS女でもあんまり力の差を感じず絶望感が足りないのに、さらにジュールズがタフ過ぎて。。。

 

崖から落ちて死なないのもそうですが自分で傷を縫合したり、外れた肩直したり、折れた指をもとの方向に戻したり、設定上元お医者様らしいんですがあまりにもたくましすぎて(笑) 自分で自分の手術するとか、まさにブラックジャック。

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「ひ臓を痛めてる、でも破裂はしてないわね(`・ω・´)キリ」とか言ってんだもの。

 

あと途中ボートを使って逃げるんですけど、なんか見てて面白いんですよ。

ジュールズ「やめてー、来ないで―(キコキコ)」

メーガン「話し合いましょ(キコキコ)」

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ボートで戯れてるかのような緊張感のなさ

 

あとは、途中でメーガンが過去にも同じような事をやってきた証拠をジュールズが見つけるシーンがあるんですが、メーガンの目を盗んで目の前にある銃は無視して熊のはく製の裏の箱を見るというあほ。銃を取りなさい、銃を!!

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気になるところを上げたらきりがないです。

  • 散々今まで事故死に見せかけてきたはずなのに、ちゃんと死んだか確認してなかったり。
  • 隣人殺して湖捨ててるのに、ジュールズだけは再度事故死に見せかけようとしてたり。
  • と思ったら、胃の中が空だと怪しまれるとか妙な所だけ慎重だったり。
  • 油断させようと演技しても、途中途中で「クソッ」とか心の声が漏れちゃったり。
  • 逃げ切れたのに、心変わりしてやっぱとどめを刺しに戻ったり。

 

あと、映画のポスターもそうですけど愛してないですからね、メーガンも別に愛してなかった的なことをジュールズに言ってますしキャッチコピー考えた人は映画ちゃんと見てないのではと心配になります。

今からでもいいから「愛してない 殺しきれない」に書き直してほしい(笑)

 それはそれで意味わかんなくなっちゃうけども

 

まぁ、ツッコミながら友人と見るならありなんじゃないでしょうか。

さほど怖くありませんし、後味も全然悪くありません。

 

後味が悪くないと言えば「スペル」もそうです。こちらのホラー映画は、後味が悪くなくてもちゃんとホラー映画として怖いですし勢いの面白さも楽しめるのでお勧めです。

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個人的に挿入曲というか、途中メーガンが歌うデーモンインサイドの唄は不気味でよかったです。

 

今回はそんなところで

 

それでは、また(^^)/

【映画ネタバレ】「歩いても 歩いても」郷愁に包まれて

みなさん、こんにちは

カオナシです。

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今回は阿部寛さん主演の「歩いても 歩いても」を見たのでそれについて書きたいと思います。

 

正直記事にしようか迷いました。

自分にはうまくこの映画の良さを伝えられないんじゃないか、そう感じたからです。

 

そもそも、この映画はあらすじ一つとっても至って普通です。

世に出回る感動映画のようにお涙頂戴を狙って誇張もしていません。

 

しかし、それが普通であればあるほど心に刺さる。

共感できてしまうし、自分の事を省みてしまう。

 

そして今作には人間のいい部分だけでなく悪い部分もごくごく自然に鏤められています。

私の語彙力が乏しいばっかりに悪い部分という表現しかできないのがなんとも残念ですが、人間の本質とでもいえばいいでしょうか。人間奇麗事ばかりでは語れないという事が如実に示されています。

 

そんな普通な日常を飽きることもなく見れた理由の一つとしては、俳優さん方の演技の自然さがまず挙げられます。私自身、出てくる登場人物に尽く感情移入してしまいました。

 

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(親からすれば我が子はいくつになっても子どものまま)

 

今は亡き原田芳雄、樹木希林さんの演技が輝く一作でもあるでしょう。

「万引き家族」でも感じていたんですが、樹木希林さんの演技って鬼気迫る*1(樹木だけに)といいますか、心に刺さるものがあります。そしてそれと同時に是枝裕和監督のファンにもなってしまった自分がいました。

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なんとなく思い出した「万引き家族」でしたが、まさか監督が同じとは思いもしませんでした。ほんと調べてビックリ。

元を辿ればそもそも、そこそこ古い作品である「歩いても 歩いても」自体もなんで見たくなったのか不思議なんです。

いい作品というのは自然と引き付けられるということなんでしょうかね。

 

あと、この方「海街diary」の監督さんだったんですね。「海街diary」は友人がほんと普通だった。と面白くなさそうに言っていたので見る気はなかったんですが、とても見たくなってきました。

 

話を戻しますが「歩いても 歩いても」の個人的に心が揺れたシーンを少しばかり挙げてみたいと思います。

  • 連れ子が主人公をお父さんとは呼んでいないところ
  • 主人公の語り掛けに「普通」と答える妻の連れ子
  • 主人公がたびたび亡くなった兄と比較されること
  • 子持ち未亡人と結婚した主人公を気にする母
  • 風呂場に手すりがあったり、歳をとり隣人の力になれなくなった父
  • 嫌味に取れることを故意に言う母と無意識な父
  • おばあちゃんちという言い方や写真の隅っこが気に入らない父
  • 誰かのお墓に花さして帰るとこ
  • 重くなった場を和ませようとする姉の夫
  • つらい思いをさせるために命日によしおくんを呼ぶ母
  • 箸を奇麗にしようとしてめっちゃ舐める父
  • 息子のパジャマだけ用意する母
  • おへそからジワジワ
  • 階段の途中で父の足を気遣い携帯を見るふりをして足を止める主人公
  • お墓参りで母と同じことを言い、妻と子供に同じ話をする主人公

 

一つずつ説明したい所なんですが、ぜひ皆さんにも見て感じて欲しいのであんまり言いたくもないこの気持ち。とりあえず、見てほしい。

 

とにかく、見てほしい 

 

 おへそからジワジワくるから!

 

ほんとに、見てほしい

 

普通普通と言ってきましたが、あえて普通だからこそそこにあるメッセージを受け取ることが出来るのかもしれません。(BGMやひぐらしの鳴き声も全てすばらしかったです。あと夏川結衣さんは相変わらず奇麗すぎ)

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夏は青春真っただ中な爽快な映画を楽しむのもいいですが、しんみりこの作品でノスタルジーに包まれるのもまた一興と思わせてくれる作品でした。

 

今回はそんなところで

 

それでは、また(^^)/

 

*1:ふざけました、すいません

【映画ネタバレ】「ジェサベル」貞操観念の低さが目立つ

 

みなさん、こんにちは

カオナシです。

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今回は理不尽ホラー映画「ジェサベル」を見たのでそれについて書こうと思います。

 

正直なところ

 

結構怖かったです。

 

そもそも、私がこういう系が苦手だっていうのもあると思うんですが、結構ビビってしまいました。

私は自分だけ別の空間に迷い込んだようなものが特に苦手で、近いものだと「サイレントヒル」や「仄暗い水の底から」とか、自分だけにそれが見える「イット・フォローズ」等が挙げられます。「仄暗い水の底から」は他のとまた少し違う気もしたんですが、あのどんよりとした陰気な世界観は彼女の世界に迷い込んだともとれる気がしたので挙げさせてもらいました。

 まだ見ていない人のために予告について少し補足なんですが、短く抑えようとしたためか「私はもう死んでる お祝いにタロット占いしてあげる」って脈絡が変な感じでまとめられています。しかし、実際最初はあくまで不安を煽るような不穏なビデオではなく「これをあなたが見るころには私は亡くなっているんでしょうけど、誕生日おめでとう」の流れの話になってます。予告だと不気味さの演出よりも、どゆこと??という風に思う方が多いと思ったので少し補足させていただきました。あとは予告にある父のセリフ「あれは母じゃない」ってのが後々だいぶカギになってきます。

 

 

 

※こっから下はネタバレ

 

 

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ホラーとして怖さはまずまずの映画だったので、一見の価値はあると思うんですが内容としてはどうなのって感じでした。まず起承転結の起としては「インサイド」や「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」でもそうでしたが、トラックに突っ込まれて大事な人をなくすところからスタートします。

そこまでは別にいいんですけど、女性は強いという事なのか案外ケロッとしています。

久方ぶりに帰省した実家で母の部屋を物色しては「めっさいい本 サンクス、マミー」とノスタルジーに浸る余裕を見せます。

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いや全然いいんですよ。ずっと落ち込まれてても違うでしょうし。

でも、この後の起承転結の承の部分で、元カレ?に再会するんですけどなんかいい感じになってるんですよね。なんか、映画の冒頭で旦那と我が子を亡くしたとは思えない感じがイマイチ私としては腑に落ちませんでした。というか、貴方の旦那や我が子への思いはその程度だったの?っていいたくなってしまいましたし。

あとやたら主人公、胸元が開いた服を着るんですけどなんなんですかね。こちらとしては嬉しい限りなんですけどね!!!!

いくら嬉しいからといっても尽く胸元が開いてる服を着る未亡人はあまり感心しませんよ、私。

作品の冒頭はちゃんとそれなりに服着てたのに、ほんとわけわかめ。

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まぁ、そこは事故からそれなりに時間がたっていて暑い季節になったとかで、ある程度傷も癒えていたと仮定しましょう。

 

起承転結の転の部分で、主人公と誕生日が同じジェサベルと書かれた墓を見つけてから怒涛の展開が続くわけですが「いや、お母さん?お母さーん!お母さん(笑)」って感じでした。

実際は主人公は養子として家に入った子で、母の子ジェサベルは母と母がよく通っていた教会の神父(黒人)さんとの子供だったわけです。我が子かと思ったら黒人の子供が生まれてきちゃったもんだから、父激おこ。ジェサベルとその神父モーセを殺害。代わりに養子をという真相。母は銃で自殺。

起承転結の結で亡霊?の母と神父が主人公を拘束するシーンがあるんですけど、神父「償ってもらうぞー」って何言ってんのコイツ。言う相手も違うし、そもそもお前が不倫したのが悪いし。お前が詫びろ、バーカ、バーカ。

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内容でいえば登場してくる登場人物の貞操観念を尽く疑いたくなる映画でした。

あとはそもそも、娘が帰省してきて父はあんな過去があった母の部屋に娘を案内するかねっていうのと、母の車椅子もそうだしビデオはもっと前に処分しとけって思ったり、最後「私はジェサベルよ」っていうところとか多少気になるところはありましたが、怖さとしては充分怖かったので良しとします。

 

あと、個人的に電話の音が嫌すぎました。自分が使っている目覚ましの音に似ていることもあってすごい不安に駆られました。基本的に寝不足・気持ち悪いが目覚ましの音とセットになるせいで、音を聞いただけで気持ち悪さが思い出されるのかなって思ってはいますが、ほんと破壊力がすさまじい。

 

怖い。。。

 

今回はそんなところで

 

それでは、また(^^)/

自分を削って嘘をつく

みなさん、こんにちは

最近ようやっと暖かくなってきた気がしているカオナシです。

まぁ、まだ朝と夜はさむいんですけども。。。

 

突然ですがここでひとつ、みなさんに質問させていただきたいんですけど

普段から嘘ってつきますよね?息をするようにというか、数えたら息するよりも多いんじゃないかって思うぐらい嘘つきますよね?

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友人の彼氏彼女がブスでもカッコいい可愛いと言ったりとか、知らないことでも相手の話の腰を折っては悪いと思って知った風を装ったり、全く悲しくなくても周りに合わせて神妙な顔をしてみたり、痒いところがあっても美容師さんに大丈夫ですって言ってみたり、ワキガだと気づいて臭くても指摘出来なかったりetc。。。

この世は本音と建て前で絶妙なバランスで成り立っていると思うわけですよ。

 

それがこの世の摂理だという事は分かってはいるんですが、最近はそれで少し悩んでいます。

というのもどこまで嘘をつくべきで、どこまでは本音で語るべきなのか

 

ここでひとつ割と最近あったエピソードを話したいと思います。

 

今現在私は、居酒屋でバイトをしていましてそのバイト先の先輩とのやり取りです。

パイセン「カオナシ!可愛くない?」(写真を見せながら)

カオナシ「どっちですか???」

パイセン「こっちだよ、こっち!可愛いわー」

カオナシ「確かに可愛いですねー、うまくいくといいですねー(#^.^#)」

 

どうやら、先輩は昔片思いしていた中学時代の友人に最近再会したとかで、それについての話は以前にもなんとなく聞いていたので写真の子もその子なんだろうなと思いながら話を聞いていました。

 

はっきり言って可愛いかわかりません!!!

写真を見た限りじゃ可愛くない!!!!!

 

だったら、「そうですか?自分はタイプじゃないですねー」

って言ったらいいじゃないかって?そうは問屋が卸さないんですよ!

 

逆に!逆の立場になって考えるとするじゃないですか。

カオナシ「パイセン!この写真の子可愛くないですか?」

パイセン「そうかなー?」

カオナシ「え!可愛いですって、可愛いわー」

パイセン「自分はタイプじゃないわー」

カオナシ「・・・・・」

 

いや、さみしい!!!!!

そんなこと言われたら毎日ツイッターで「さみしぃ」とかポエムも添えてつぶやいちゃうメンヘラ子ちゃんぐらい寂しくなっちゃいますよ、私。

 

自分がされたくないことは相手にもしない主義

自分がされたいことは相手にもする主義の私としては、その場での正解は「可愛い」で間違いないんですが、他者に嘘をつく罪悪感や自分に嘘をつく窮屈さが同時に発生してしまうジレンマ。。。

 

嘘をついた方がいいけど、自分が嘘をついていると思いたくない。。。

考えてみた答えとしては、いかに自分が嘘をついていないように自分を騙せるかという結論に至りました。

 

「可愛い」ではなく「お似合い」や「もったいない」って言えばよかったです。

パイセン「この子可愛くない?」

カオナシ「先輩にはもったいないですよ~笑」

 

質問には答えてはいないものの相手の求めているものを提供できていると思うんですよ

そして、これだと自分自身に嘘をついたと少なくとも私は感じないんですよ。

 

いかに嘘をつく罪悪感をなくすか、自分が嘘をついてないって思ったら嘘じゃない!

大げさに嘘をつくってのもアリだと思います。徹底的にボケることで脳に考える暇を与えないとか。後は逆に罪悪感がマヒするまで嘘をつきまくるとか。

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 もしあなたが十分に大きな嘘を頻繁に繰り返せば、人々は最後にはその嘘を信じるだろう。 ヨーゼフ・ゲッベルス

 

これって「嘘も百回言えば真実となる」の元になったセリフらしいんですけど、周りだけじゃなく最終的には自分をも騙すって意味も含んでいるような気がします。

 

 そんな事を言いながら嘘について調べてたんですけど、やっぱ相田みつをすごいわ

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なんか、ぐっとくる 当たり前のような言葉なのになぁ みつを

 

なんか語尾に「なぁ」と「みつを」つけたらみつをになる説ありますね

今度、自分が考えた名言と相田みつをの名言見分けられない説の検証でもしてみようと思います。

 

それでは、また(^^)/

 

 

 

【映画ネタバレ】「クワイエット・プレイス」一言で言うとツナマヨおにぎり

皆さん、こんにちは

みかん大好きカオナシです。

最近愛媛みかんゼリーなるものを買ったんですが珍しくイマイチでした。

思った以上にゼリーがペーストに近く、甘さもシロップのようなしつこい甘さで食べきれませんでした。なんとも残念。。。

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今回は「オール・ユー・ニード・イズ・キル」でもお馴染みエミリーブランド出演の「クワイエット・プレイス」について書いていこうと思います。

 

見た感想ですが、惜しい!

 

めちゃくちゃ惜しい!

 

設定自体も面白いですし、ホラー映画としても音を立ててはいけない緊張感がこちらにも伝わってきて、*1図書館にでもいるような静けさで固唾をのんで見ていました。

 

エイリアン系だとそれこそ「オール・ユー・ニード・イズ・キル」だったり、「宇宙戦争」、「ミスト」とか、アリと人間位の絶対的力の差を感じさせる恐怖感はやっぱり普遍的なもので、題材としては良かったんじゃないかと思いました。

 

一言ツナマヨおにぎりと表現した理由ですが、私コンビニとかでおにぎりを買う時はツナマヨおにぎりしか買わないんです。というのも、他のおにぎりを稀に買ってもツナマヨのほうが美味しく感じることが多いからです。しかし、だからといってものすごい好きというわけでもなく、さらに美味しいおにぎりがあれば全然鞍替えしちゃうレベルです。

ある程度の美味しさは担保されていますが、うまい!と唸るほどでもない。

 

「クワイエット・プレイス」はまさにそんな感じがしました。

これは、まさにツナマヨおにぎりだなって。

でも、カルビ弁当にはなれないなって、そんなことを思いながらタイトルを決めました。

 

以下の方の記事を読ませていただいたんですが、映画製作に至った背景や実際の夫婦で夫婦役を演じたという事で、なかなか感慨深いものがありました。


 

とは言っても、ホラー映画としては惜しいです。

他のレビューでも言及されていることについて少し引用したいと思います。

音立てるなって言ってるくせに、音立てまくり。

息子を一人失くしてしまったあとに、子どもを作っていること…

え?ショットガン一発で退治できるん??

敵が家に何故そんなに簡単に入ってくるのか、板を打ち付けないのか女の子が二親どちらにも似ていない。

 

たしかにけっこう音を立てます。砂で道を作りそこを裸足で歩くという徹底ぶりかと思いきや、しゃべる時は普通にしゃべりますし案外化け物の耳がザルです。

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また今作の着想自体がどうしても子育てと切り離せなかった故に起きた矛盾ですが、音を出してはいけない世界で赤ちゃんを産もうとすることに共感できないという意見が多く見られました。「ウォーキング・デッド」のローリが妊娠した際も色んな意味でリックが苦悩した描写がありましたしね。音が出せないなら尚更です。

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これは少しネタバレになってしまうんですが、怪物をショットガンで退治することに成功します。そもそも怪物の詳細が一切わからない状態なので、あっけなくショットガンで倒せたことに違和感を覚えた人がいても何ら不思議ではありません。これに関しては続編も制作中らしいので、そちらで怪物の生態等色々わかるかもしれませんね。

 

また、怪物にも家にずかずか入られますし、大量の監視カメラが飾りともとれる対策の甘さが目立ちます。緊急事態に遠隔で音を出せる装置とか、それこそ家自体の防壁を厚くするだとか。「アイ・アム・レジェンド」でも家を包むように板を貼って光等が漏れない対策をしていましたしね。

 

後、最後のは私もすごく思いました。長女役のリーガン・アボットが他の兄弟とも、親とも似てない問題!これは一つの仮説なんですが、リーガンが実は主人公たちの子供ではないって可能性はないですかね?それによって、自分は愛されていないと悩む描写もなんとなく私は腑に落ちる気がしました。それにしても似てない!というか、あんまり可愛くないですし父親を無下にしてるの見てて少し腹が立ちました。

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やな奴、やな奴、やな奴!

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後、映画内で印象に残ったのはエミリー・ブラントのむくれ顔!

 

すごく可愛ぅい!!!!(笑)

 

ほんと、カッコよさと可愛さと美しさを兼ね備えてますね

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あとは、イヤホンを付けると同時に挿入曲が流れる演出が個人的によかったです。まだ見てはいないんですが、「ベイビー・ドライバー」もそんな感じなんですかね。近いうちに見て確かめたいと思います。予告はリズムがすごく良くて面白そうです。

 

今回はこんなところで

 

それでは、また(^^)/

*1:小さい頃の私は図書館で音を立ててはいけないと意識するあまり、リラックスして読書することが出来なかったことを思い出しました