隣のおっさんがくさい

世に対して不平不満を言いつつも何とか楽しもうと試みる弱者のブログです。

オ○ニーマスター黒沢

 

みなさんこんにちは、カオナシです。

 

今回は、kindle読み放題で『オ○ニーマスター黒沢』を読んだので、その感想をここに残したいと思います。

あらすじとしては、校舎の3階の女子トイレで、クラスメートを想像しながらオ○ニーにふける男子中学生:黒沢が、ふとしたきっかけから、いじめられっ子である同じクラスの北原という女子生徒に秘密を握られてしまい、半ば脅しのような形で、いじめっ子達に復讐する手伝いをさせられると言うもの。

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シンプルに面白い!

絵はそこまでうまいわけでもないし、4巻完結で短い作品ではありますが、主人公であるオ○ニーマスター黒沢が恋に芽生えて失恋する件や、人との関わりの中で成長していく様は、どこか高校時代の自分を重ねているようでとても、胸にくるものがありました。

 

 

でも、納得できない所もあったのでそれについてもここに書きたいと思います。

まずは、ブロッコリー頭の長岡。

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主人公にも常に絡んできて、だれにも分け隔てなく接し差別しない男。そんな男が、同じクラスで虐められている北原のいじめを黙認しているのは意味がわからない。というか、そんなことは現実には起こり得るはずがない。

これに関しては長岡の恋人であり、主人公の失恋相手でもある滝川に関しても同じことが言える。

虐め自体止めることは難しいから、言い出せなかった等の言い訳もあるかもしれないが、そうであるならば、主人公の罪の告白の後の2人の行動には一貫性がない。

 

そもそも、いじめの恐ろしさと言うのは止めたくても止められない雰囲気にあるとも思うし、そんな中で表立って一緒に机を探してくれる長岡はどこかリアリティにかける。この状況が成立するのであれば、北原のイジメをフォローすることも出来ただろうし、ただ何もしないのは逆に不自然に思える。

 

 

二つ目は、主人公が途中からオ○ニーを辞めたものの、今度は言葉でオ○ニーをし始めるようになってしまったことである。周りの助けもあり、立ち直った黒沢と、その一方でいじめの末に引きこもりになってしまった北原。そんな北原が学校へ来なくなった決定打となったいじめの現場でも、主人公を含め周りは何もできなかったし、その後の同窓会の件も、黒沢のただの自己満足にしか思えないような発言の数々で、イジメを取り扱う作品として、いじめられている人にとっては救いのない話になってしまっていた。最後なんて、元々北原を虐めていた女子生徒:須川と、主人公がなんだかんだ良い感じになっている。須川はいじめたことを反省しているという描写もあったものの、謝れば全部チャラになるのだろうか?いじめられていた時の北原の気持ちはどうなるのだろうと考えると、とてもいたたまれない気持ちになる。

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はっきり言って、最後の方のコマで北原が再び学校へ登校するようになった理由がいまでも分からない。彼女は何を思って、再び学校へ行こうと思えたのか。というか、世界や人がこんなに単純だったら、いじめなんてすぐに無くなるんだろうなとも思える結末になってしまっていた。あとは、シンプルに主人公の罪を話のネタにした所とかは綺麗事だと思ったし、時間が経てば虐めていたことがチャラになるなんてこともない。それを無視した話の流れはどうしても納得できない。

 

てなわけで、自分的には良い所もあり、悪い所もありってな作品でした。やっぱ、イジメを取り扱う作品って丸く収めようとすると綺麗事になりがちですね。いっそのことミスミソウみたいに、恨みの果てに殺戮しまくってくれてる方がまだ人間としてはリアリティがあるような気がします笑

 

そのような終盤の矛盾を除けば、作品自体はかなり楽しめたので、もし興味がある方はぜひ読んでみてください。

 

それでは、また(^-^)

 

 

 

 

ずっと少しだけ会社を辞めたい

 

なぜ会社を辞めたいのか

そもそも、自主的にやろうと思ったことは何のストレスにもならない。しかし、「しなければいけない」という条件がついた時点で、それは義務であり自分に対する制約になり、重い足枷となる。

 

それがなんとも窮屈でしんどい。しかし、それを抜け出すために努力する事も面倒臭い。

 

そういう思いで、自分を含め世間の大多数の人間は、以上のような不満を持ちながらも、現状を変えようとせず、歳を重ねていき、気づいた頃には「もっと前に変わるための努力をしておけばよかった」と後悔をする。

 

つまるところ、私はずっと少しだけ会社を辞めたいと思っているという事である。

 

うちの会社は繁忙期でなければ基本定時で帰れるし、有給もしっかり取れる。年間休日も120日以上あるし、ボーナスも夏と冬で、合計半年分くらい出る。

 

自分の能力からすると、十分すぎるほど給料はもらえてるし、家賃補助など福利厚生も充実している。専門卒でこれ以上給料が高く、恵まれている職場環境というのも中々見つからないと思う。

 

でも、私はずっと少しだけ会社を辞めたいのである。

 

そしてそれは、この先もずっと変わらないと思う。

 

会社を辞めるための行動を日々できていない時点で、私は本気で会社を辞めたいと思っていないということでもあるが...

 

世の中そんなに甘くないと聞くが、だからこそ自分自身くらいには少しくらい甘くあってもいいじゃないと思う今日この頃。

 

だからこそ、私は「少しだけ」会社を辞めたい

多人数でいる空間が苦手な件

 

こんばんは、カオナシです。

 

今回は、私の実体験を元に話をしていきたいと思います。

 

そもそも、私は多人数で絡むことが基本的に苦手です。飲み会や、懇親会などの場で表面上は取り繕って、話を振ったり笑顔を作ったりする社交辞令的なことは一応できているつもりなんですが、正直いって、そのような場は長ければ長いほど居心地が悪いです。

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特に飲み会でいえば、たくさん飲む人とあまり飲まない人の間でテンションの壁が生まれたりするのも苦手ですし、会話の流れとして、話の輪にいまいち入れてない、ついていけてない時の自分も嫌いです。逆に飲み会で自分が盛り上がれている時でも、ふと話の輪に入れていない人がいることに気付いたりした時も、ついそちらに意識がいってしまいます。

話の輪に入って行こうとした場合、その話題に関する知識も、興味も薄い自分が無理に入って行こうとするのは話のテンポを遅くしてしまう、話の熱量を下げてしまう、流れを止めてしまうようで気が引けますし(そういう時は自分の場合、退屈そうに見られても気を使わせてしまうので、その場では相槌を打ったり、周りに表情を合わせて興味がある素振りをしようと努力をしています)

 

反対に話の輪に入れず孤立した人を会話の中に入れようとした場合、話題についていけてない人を輪に入れて話に興味を沸かせるほどの話術が自分にはないので、あの状況になるたびに、その状況を変える事ができない自分に対してモヤモヤします。いってしまえば場の空気を意識しすぎてしまっているという事なんですが。。。

調べた結果HSPの特徴としてもあるみたいですが、自分の場合は世の自称HSPを語る大多数のただ気を遣われようとしてる自分本位な人たちと一緒にされたくもないので、自分自身はHSPの傾向があるといわれてもって感じで、だからと言って気が楽になったとかもありません。(実際に生活に支障が出ているというようなHSPの方たちは素直に尊重されるべきですし、そのような方たちがHSPを語る分には自分は何とも思いませんが、ただの努力不足をHSPという免罪符で自己肯定する人たちは端的に苦手です)

 

 

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話が少しそれましたので、戻します。

そんなに気にしなければいいのにという人も多いですが、別に意識して気にしてる訳じゃないので、そのような事を言われても何の解決にもなりません。

 

いってしまえば緊張した時に、手汗がひどくなるとか反射に近い反応を『しなきゃいいじゃん』とか言われてもって感じです。

 

 

以下の動画では、集団の会話で孤立する理由として話題に対して、反応速度に差があるために、反応速度が速い人が反応して遅い人が反応できずに孤立してしまうと説明されていましたが、対処法としては生まれつきのためなかなか難しいという結論で、それよりも会話を聞く時の表情や相槌の仕方で、会話に入れているようにふるまう事を勧められていました。

 

 

まぁ、そのような場が苦手になったこと自体、私自身が思春期など、主な人格形成がなされる時期の間に多人数でコミュニケーションを取る経験をそこまで重ねていなかったことも大きな要因だと思っています。(現在も、友人といっても1:1の友人が複数いるという形で、グループで仲がいいという関係性は持っていません)

 

 

また、中高生の時は、典型的な陰キャだったこともあり、多少垢抜け見た目も以前とはだいぶ変わったと言われる現在でも、私の芯の部分が根暗であることに変わりはなく、どちらかというと孤立気味の人に対して、自分を重ねて感情移入してしまう事が多いです。

 

 

だからといって、別に現状はそんな自分を悲観してるわけでもなく、多人数でコミュニケーションを取らざるおえないような場所は避けれるだけ避けて、一人一人との関係性を自分のペースで深めていければと思っています。

 

私自身その考えに至るまでは、一時期多人数の場に馴染めていない自分を変えようと、積極的に輪に入っていったり、輪に入れていない人には自分から話を振ったり、興味がないことでも盛り上げようとしたり、その後1人反省会をして『あそこはもっとああすればよかった、あの発言は言わなきゃよかった』とかで疲弊していたこともありました。

 

しかし、それもどこまでいっても自分の心の平穏のために相手に合わせようとしている事が、自分の本心とどんどん乖離していき逆にストレスを生んでしまっているという矛盾に気づいたため、私は多人数でコミュニケーションを取る事をいい意味で諦める事ができました。(上記の動画についても、その対処法を実践することで自分を周りから表面上盛り上がっているように見せる事ができるかもしれませんが、当の本人は本質的にその場を楽しめているとは言えない状況だと思いますので、長期的にはあまり意味のないことだと思います。)それだったら、そもそもそのような飲み会がない職場に転職する(そういう業界に転職する)ために資格の勉強をする、副業をはじめて自分自身で稼ぐ能力をつける等の努力をした方が、本質的に自分の人生の幸福につながると思います。

 

 

しかし、飲み会など多人数でそのようなコミュニケーションができる人達のことは素直に尊敬してますし、羨ましいとも思うので、来世でそんな人間になれたらそれはそれで楽しいだろうなと思ったりしています。

 

自己肯定感が低いと、できない自分に焦点を当てすぎて、『あれもできない、これもできない』と自分を攻撃してしまいがちですが、そんなもんは他の成功体験で、心の持ちようはなんとでも変化するので、多人数の場が苦手というコンプレックスを持っていた場合でも、自分のように違うアプローチで考え方を変えてみるのもいいのかもしれません。

 

自分の場合は、ある時はコミュ障の自分を変えたくて5万円出してコミュ障克服コンサルみたいなので、ヒッチハイクしたり、ある時は15万払ってナンパコンサル受けて3日間で渋谷とか表参道で100人以上女の人に声をかけたりと、自分を変える努力を少しずつでもしてきましたが、そこまでやっても、文章からもわかるようにぜんぜん根暗は変わってませんし。でも、今はそんな自分も嫌いじゃないです。

 

あとは、シンプルに会社以外で自分自身でお金を稼ぐことも自信につながることもわかったので、社会不適合者である陰キャこそお金を稼ぐべきだと思います。

 

自分も、頑張ってお金稼いで、将来的に極力人と関わらないような生活ができるように頑張ります。(友人、家族、恋人など最低限の人達との輪は大切にしていく前提ではありますが)

 

あとは、多人数の会話が苦手な人あるあるとして以下のような状況も自分としては大変共感できたので、挙げておきます。

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今回はこんなところで

駄文、読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

イジメられた時の対処法

 

こんばんは、カオナシです。

今回は、学生に限らず社会人の間でも問題になっているイジメ問題について、自分がいざイジメられるとなった時に、適切に対処できるように事前に準備しておきたいと思います。(彼女の職場で、嫌な先輩がいるという話を相談に乗りつつ、色々調べる機会があったので今回書いてみました)

 

また、イジメを受けた際に特に大事なのが、スピードです。心にまだ余裕をもって動けるうちに、証拠を揃えて、大事(おおごと)にしてしまうことです。イジメを我慢するうちに、心が麻痺し、我慢の限界に達した時には、もう何もする気力がないというような状態では泣き寝入りする以外の道がありません。

つまり、「あれ、これってもしかしてイジメられてる?」ってなりはじめたころには対策を講じ始める必要があると思います。

 

それを踏まえて、どのような事を実際にすればイジメを止めさせることが出来るのか、参考文献を元に、まとめていきたいと思います。

参考文献↓

https://mynaviagent.jp/dainishinsotsu/canvas/2017/10/post-31.html

https://www.staffservice.co.jp/cheer/help/bullying.html

https://www.wikihow.jp/職場でのいじめ行為を証明する?amp=1/

 

 

①記録をとる

まず、第一にいじめを受ける場合の大半は、いじめをする側の人の立場が強い=上司や先輩が加害者であると言う状況だと思います。そんな中で仮にさらに上に相談したとしても、上は上で、「まぁ、自分も昔は先輩とかにしごかれたもんだよ。最近は、まだ優しい方だよ」とか、自分の経験を元にいじめのレベルに限らず、そのように片付けられてしまいがちです。また、相手の立場が上司や先輩ということで、自分よりも相対的に仕事上ぶりを高く評価されている可能性が高いため、客観性がない、抽象的な事は、言ったところで重くは捉えて貰えません。(そもそも、会社でいえば、仕事を皆がしてくれてさえすればそれでいいわけで。学校の教師の立場でいえば、問題を起こさず卒業してくれてさえすればそれでokです)

つまり、みんながみんな自分が一番可愛いという前提に立てば、自ずといじめを立証するにも客観性が特に大切になるということがわかります。その客観性を担保するための物が、つまるところの記録(日記)という事です。

それによって、いじめの日時、詳細、証拠写真などを集めて、具体的にどのような被害にあっているのかを上に伝える必要があります。そうしないと、「とはいっても」と否定される隙を与えがちです。また、記録をとることで、法律で裁くという選択肢も出てくるので、問題をいち早く解決するためにも、より詳細な記録をとることが大切です。

 

 

②いじめの証拠を集める

これも、①で言ったように客観性の話になってくるんですが、イジメの写真や、メール、罵倒された際の音声など、そのような証拠を多数集めることで、周りからも同情してもらいやすくなります。それに加えて、そのような証拠があるにも関わらず、いじめを黙認していたとなれば、相談された上の人の立場も危ぶまれるので、自然と問題を表面化してもらいやすくもなります。(証拠が実際に出ていると、言い逃れもしにくくなる)また、カウンセリングを受ける、病院で診断を受ける等で、診断書を貰い精神的に参っているという事を医療機関からお墨付きを貰うことで、強固な証拠を集めることにもなります。

要は証拠を集めて、いかにはやくどれだけ味方を増やせるかという話になってきます。

 

 

③上に報告する。

上が対応しないということであれば、さらに上に報告するしかありません。さらにその会社(学校)が対応しないということであれば、警察に被害届を出す等で、いじめを刑事事件にするしかありません。大事にしたくない、大事にしてその後の関係性の変化が怖いなどの意見もあるかと思いますが、そのように考えられる余裕があるうちはまだいいですが、それが過ぎれば自分自身が鬱病や、自殺待ったナシという土壇場に居ることも忘れてはいけません。仮に、限界まで我慢していたとして、「もう無理」となった時点で、多くの人は視野狭窄に陥ってしまい、「虐められてるのは自分が悪い」

、「死ぬしかない」とか、ネガティブな方に引っ張られる可能性が非常に高いです。つまり、大事にしたくないと悩んでいられる間が、抵抗する最後の猶予期間とも言えます。会社や学校にとって、厄介者になりたくないという気持ちは分かりますが、仮に貴方が、いじめによって鬱病になって離職(不登校)したとしても、一時は形だけでも心配の目を向けてくれると思いますが、その後の人生を助けてくれません。つまり、自分で立ち向かおうとする意思がない限りは、いじめを解決することは出来ないということです。

 

④警察に被害届を出す。

これについては、③に続きますが、いじめをなくす方法は、とにかく証拠を集めていじめの事実を表面化して、多くの人に知ってもらい味方になって貰う他ありません。そして、その味方に、医療機関や警察を入れることで、会社側も、無視できなくなります。つまり、上がダメなら、もっと上の人に言って裁いてもらう他ありません。一部、マスコミにタレコミを入れてはどうかという、意見もありましたが、よっぽど目を引く酷いいじめでもない限りは、マスコミには相手にはして貰えないと思いますので、それよりもまずは周りの人や、医療関係者、警察の人に協力を求めることが大切だと思います。

(また、警察=正義の味方で弱者の味方、という考え方をしてしまう人も多くいると思いますが、警察も警察で検挙率を高めるために、検挙が難しい案件などは被害届が出されること自体を避けようとして、被害届受理を渋る可能性もあるので、イジメの証拠の提示や、医者の診断書、弁護士を立てる事も考えているなどの、覚悟を示す必要もあります。警察に門前払いを受けた例として、過去に被害者がストーカー行為を受け警察に助けを求めたものの、ろくな対応をされず最終的に被害者が殺害されてしまう事件などもありました)

 

参考文献↓

https://jisin.jp/domestic/1664827/amp/

https://www.tokyo-np.co.jp/amp/article/13579

 

⑤最後に

ストレスの多い社会ですが、こまめにガス抜きをしつつ無理せず頑張りましょう!あなたの人生はあなただけのものです。他人にあなたの人生を壊す権利なんて微塵もないので、やると決めたら徹底的に潰すつもりでいきましょう。舐められたら終わりです。

 

 

 

 

 

 

車のワイパーのゴムの交換方法【15分の簡単作業】

 

こんにちは、カオナシです。

中古で買った車のワイパーが猿みたいに騒ぐのが気になってきました。その他、ワイパーのゴムが古いと雨の時にうまく水はけが出来ず視界がとても悪くなるという事も聞いたので今回は急遽自分でワイパーのゴムを取り換えてみることにしました。(自分用記事)

必要経費 1700円(ゴム代)

必要工具 ペンチ(なくてもできない事はない)

参考動画↓


 

ゴムの種類は車の年式、種類によって違うので車の「対応形式」を参考に買いましょう(車を購入したときの書類を参考に)

ちなみに私は、楽天で購入しました。

 

作業時間的には15分くらいかかりましたが無事ワイパーのキーキー音がなくなったので満足です。

 

結婚したくないという考え方

 

みなさん、こんにちは。

 

カオナシです。

 

 

今回は、結婚したくないという考え方について、自分の考えをここに記録したいと思います。

 

最近は男女の未婚率の上昇と共に、晩婚化が進む日本ですが、2015年の段階でもすでに、男性の4人に1人、女性の7人に1人が生涯未婚ということで話題になっていたそうです。

 

なんで結婚なんてしなきゃいけないんだ。結婚なんてしたら

自分の時間が減る、自由に使えるお金が減る、それなのに責任は増える

 

 

そんな風に、結婚したくない人たちは考えるようです。

また、すでに結婚している上の世代を見て、小遣いがすくないだとか、小言を言われるから家に帰りたくないと口にする上司を見てさらに結婚に対してネガティブな感情を持っているのかもしれません。

 

昔よりも一人で生きていくことが容易くなった現代で、その中でなぜしたくもない結婚しなければいけないのか、自分一人の方が全然楽だし、楽しいのにと思う気持ちも分からないでもないです。

 

しかし、私は将来的に結婚したいと思っています。

というよりも、一人で生きていくことが出来る世の中で、「この人と結婚したいとおもえるような人に出会いたい」というのが本心です。ゼクシィの言葉で「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」という言葉がありますが、まさにその通りだと私は思います。

 

しかし、あくまで結婚自体が本質ではないというか、そう思えるような人に出会えることが自分の人生の幸福度に大きくかかわってくるというか、幸せになれると思うので、それを踏まえたうえで私は将来的に結婚したいと思っています。

 

そもそも結婚自体、縛られるものではなく。

「私はこの人と共に一生を添い遂げたいと思っています」という宣誓であり

そして、お互いの足りない部分を互いに補い合っていく事こそが結婚の

本来あるべき形だと私は思っています。

 

 

お互いに足りない部分を補い合うというのが特に大事で

私はそもそも、人はだれしも基本的にどこか抜けていて、不完全な状態なものだと思っています。それは自分自身もそうで、お互いがお互いの足りない部分を補う事で、二人三脚でより幸せになれる道を歩むことが夫婦には出来ると思っています。

 

例えば、一方は慎重すぎて行動できない性格の人がいたとして、もう一方があまり考えず感覚で行動する性格の人であれば、もしお互いが尊重し合うことが出来れば、ちょうど中間の最善の選択を選ぶことが出来るかもしれないという事です。

 

どんなにいいとされている性格でも、いきすぎてしまうとそれは一変して悪いものにもなります。お互いにいきすぎた部分をセーブし合って、二人で一人、一心同体のような関係性になることが出来れば自分一人で得られる幸福よりも、さらに大きな幸福が得られるのではないかと私は考えています。(昔の考え方で言えば、男が稼いで女が家事をするという形で夫婦関係が成り立っていました)

 

だからこそ、そのように支え合える人に出会いたいと思うわけです。

いってしまえば結婚はあくまで、おまけです。 

 

後最後に、結婚したくないという人は基本的に世間の少数派なのであまり歓迎されないという事は言っておきます。(一人でいたい、子どももいらないという人は基本的に血がそこで途絶え、その種は自然と絶滅しますので、そのような考え方が多数派になった時点で人類は絶滅します。つまり、基本的に人類が続く限りはこの考え方は多数派にはなり得ないという事です)←結婚せずに子供を産むという例外もありますが、一般的な「結婚をしたくない」という考え方を元にした場合

 

※生物学上人類は子孫を残すことを目標に今まで生きてきたので、結婚しないという考え方は上の世代には理解されないことは間違いないです。つまり、結婚しないと決めた人は基本的に家族と仲が悪くなる可能性が高いです。(価値観が根本的に異なる為)

 

また、自身の子供が結婚したことで、真に親離れして自立したと捉える人もいると思いますし。

 

 

それを踏まえた上で、結婚をするかしないかを考えるのがよろしいかと思います。

 

【映画ネタバレ考察】Swallow/スワロウ~あのラストは誰がなんと言おうとハッピーエンド~

生きる意味と異食症

 

 

 

 

他の方の言葉を使うとこの作品は『逸脱』によって1人の「人間」が自由を勝ち取った話

 

今回、異食症を取り扱ったスリラーということで真新しさを感じて見てみましたが、正直めちゃめちゃよかったです。

 

その中でも、異食症というのはあくまで一つのきっかけに過ぎず、それよりも人間が生きる上で大切な事に気づかされたというか、結局自分の欲求や取り返せない過去とどう折り合いをつけて生きていくかというところをテーマとして掲げていたので、自分としてはかなり心に刺さりました。

 

【あらすじ】

ブルーカラーの家で生まれ育ったハンターは、大企業の御曹司(リッチー)と結婚し玉の輿に乗った。最初のうちこそ、ハンターはハドソン川沿いの豪邸での優雅な暮らしを楽しんでいたが、夫から対等な個人として扱われることはなかった。抑圧の中で生きていたハンターだったが、ある日、ビー玉を食べたいという衝動に駆られ、勢い任せに呑み込んでしまった。呑み込んだ瞬間、ハンターは今までにないほどの充実感を味わった。その後、ハンターは画鋲やバッテリーのようなものまで食べるようになり、嚥下後の充実感にますますハマっていくのだった。

 

【考察】

そもそも、なぜ恵まれているようにみえる主人公がこのような事をするに至ったのか、それは至極当然というか、彼女の過去(母親がレイプされてできた子供、生まれながらにして自分が存在していいのか悩んできたこと)を踏まえれば、あくまで好かれているのは表の自分であって、本当の自分を承認してくれる人は誰もいないという心の孤独に追いやられていたことが今回の異食症のきっかけだったように思います。(主人公自身が旦那を心から信用できず、その事実を隠していたこともこのような結果を生んだ一つの要因であるとは思いますが。また、母親からも言葉では承認されているようでも、妹たちとは明らかに違う扱いをされており、真に心が通っているとは言えない関係性のようでした)

 

しかし、自分の作り上げた表の部分を好きになった旦那を突っぱねるほどの心の強さはその時の主人公にはあるはずもなく、何不自由ない暮らしの中でもどこか自分が存在していないような、自分は何のために生きているのかという悩みを抱え淡々とした日々を過ごしていました。(才能もなく、販売員をずっとしていたと自分を卑下して義母にはなす主人公も印象的でした。他にも旦那の同僚がハグを求めてきた時に、一瞬躊躇うもハグぐらいならと相手に承認される(求められる)事を求めてしまうところも主人公の自己肯定感の低さを垣間見ることができます。→その後、それを自分だけではなくいろいろな女性にしているところを見て、再び自己否定することになるんですが)

 

そんな時に、ふとした好奇心で異物を飲み込んだこと、ある種、いままでの自分から『逸脱』をした事(自分の中だけの特別な秘密を保持したこと、だれにも縛られず自分が自由に選択した行為であることをしたこと)で、その瞬間だけは自分が自分でいる感覚を覚え、それが徐々にエスカレートしていきます。異食症についていえば、これはあくまで、そこに物がたまたまあったからといいますか、それはほんのきっかけに過ぎず、それが別のものであった場合も全然考えられたと思います。(髪の毛を抜くと落ち着くという、抜毛症とかでも全然あり得たという話)

 

 

その中で、妊娠中に彼女の奇行がバレてしまいます。そんな中でもまわりは主人公の心配というよりかは、主人公の体の中の子供の心配をしているようで、そこでも主人公は自分の存在がより薄くなるような思いに苛まれるようになりました。男社会ということもあり、どこか男(旦那)のおかげで裕福に暮らせているんだぞっていう雰囲気が言葉の節々からするのもそうですが、主人公も主人公でなに不自由ない生活をしているようで、女性はこうあるべきという思想を強制されているというか、周りに劣等感を持ち、精神的にはだいぶ抑圧された生活を強いられていました。(旦那の前では、スマホゲームしている姿も見せず、良い妻であろうと取り繕っているシーンなど。ネクタイを誤ってアイロンにかけてしまった時も、主人公の強ばった表情から圧倒的な力関係の差を窺うことができます←人間だったら間違いもあるのは当たり前という一種の開き直りすらも自分の中で出来ないのは、見るからに歪な夫婦関係のようにも思えます)

 

その後、自身の過去の告白、それに伴う裏切りと合わせて主人公の異食症はエスカレートして、施設に入れられそうになるも逃亡。

 

逃亡中、主人公はレイプ犯だった父(血縁者)に会いに行き『私はあなたと同じ?』と自分が果たして生きていい存在なのか涙ながらに問います。そこで父から『私とお前は全然違う、お前は悪くない』という言葉をきき、主人公は、不安定だった自分の存在意義に対して、『私は私だ!だから私の好きなようにやる!』という一つの答えに確信を持ちました。それがラストの子供の中絶につながります。一見なんとも言えないバッドエンドのようにも思えますが、自分からすれば主人公の新たな人生の始まりというか、その先に光を見ました。(女性のあるべき姿みたいなのをここであえて否定しているのも、フィクションだからこそできる表現というか、強烈なメッセージ性を感じました)

 

過去の自分からの『逸脱』、女性として求められる固定観念からの『逸脱』、私は私であるという、他者評価社会からの『逸脱』が感じられるラストというか、今後主人公はいままでの取り繕った自分を脱ぎ捨てて1人の人間として強く生きていけると思える希望的なラストに私は感じました。

端的に言うと、中絶してるけど彼女の人生で見た時にハッピーエンドとも取れる不思議な作品

(中絶をハッピーエンドとか何言ってんの?って思う人もいるかもしれないけど、彼女が選んだ選択が彼女の人生にとってまちがってるかなんて誰にも分からないし、周りがとやかく言えることでもない。でも、彼女自身は過去の空虚な自分と決別してその選択をしたって考えたら、たとえどんな残酷なことだろうとこれからは彼女は下を向かず前を向きながら未来に突き進んでいくんだなって感じがするし、自分にはそれが彼女にとってのハッピーエンド(新たな人生の先)にしか思えなかった。それによって伴った代償がたとえ大きかったとしても)

 

【総評】

自分は自分!というのは簡単なようでとてつもなく難しい。でも、自分らしい人生を生きてく上で、そこを避けては通れないとも思ったので、この映画を見て、また少しだけでも前を向いて頑張ろうと思えました。

 

他にも、周りの目を気にしすぎるのは、人からの承認に依存してしまうってところで自分の人生を生きる上で足枷になってしまうこともあるので、だからこそそういう意味でも自分は自分!って確信が持てるように、小さいことでも成功体験を重ねて自信を持てるように(自己肯定感を高める行為を)していきたいって思いました。というか、していくしかないみたいな、どこか確信的なものを感じます。

 

後、最後のED曲alana yorkeの『anthem』の歌詞がめっちゃよかったです。今も鬼リピしながらこのレビューを書いてます。

 

私の拙い文章を最後まで、読んでいただきありがとうございました。