皆さんこんにちは、カオナシです。
これは以前のお話なんですが、専門学校も冬休みに入り暇を持て余していた私は、以下の記事を思い出し裁判所に行ってみることにしました。
裁判傍聴の時間も分からなかったため事前に裁判所の方に連絡したんですが、分かりやすく丁寧に教えていただきました。その日は午前は早くて9時50分から、午後は13時30分からだったと思います。
持ち物検査も拝見した記事の通りにありましたが、特に問題はありませんでした。
本館、新館、別館とあり迷いかけましたが警備員の方に優しく教えていただきました。
裁判傍聴の方は、その日の開廷表というものがありそれを参考に各々場所に向かいます。
開廷表自体の写真撮影はNGということでした。私はいくつか回る気でいたので何ヶ所か場所や時間等をその場でメモを取りました。
正直のところ、裁判傍聴には二度と行きたくありません。
私自身、元々この記事を書こうと思っていたため裁判の内容や傍聴者がどんな人が多いのか裁判長はどんな人か、目に付いたものはどんなものでもメモに取っていたんですが、だんだん気分が優れなくなってきたんです。
こちらは設楽統さん主演の映画なんですが、裁判傍聴に興味・関心を持ってもらえるように大分ポップに表現されています。見たまんまのスタンスで行ったのもよくなかったのかもしれません。
自分が見たのは確か強制わいせつ罪か何かの事件でしたが、そもそもその事件を選んだのも性を扱う事件の方が詐欺等の他の事件よりも面白そうと思ってのことでした。
法廷が開かれ検察、弁護士、裁判長の間で事実確認が進んでいきます。被告人にも時折事実確認をしていました。
それを傍聴席でメモを取る人達
隣に座った方は、趣味で裁判傍聴をしているのかすごい慣れているようで自分には理解できない略語か何かで、被告人の情報をメモしていました。そして、あらかた事件の内容は聞いた所で出ていかれました。
ふざけた気持ちで裁判傍聴をしに行ったわけではなかったんですが、本当に気分が落ち込みました。
被告人の罪を面白おかしく記事にする権利が私にあるわけが無い。
いったい自分はここで何をしているんだろうか。
わたしは検察官や弁護士、裁判官でもなければ加害者・被害者の関係者でもない。
私は神様にでもなったつもりだったのだろうか。
人の人生の岐路を安全圏から見下ろしている。
ニーチェは「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」と言ったが、一方的に裁判を覗き見ている気でいた私は、気づかぬうちに自分を見つめ返し、自分という存在と向き合う形になってしまっていた。
そんな自分にモヤモヤが募り、自己嫌悪して裁判所を後にしました。
私は今回このように感じましたが、考え方・捉え方は人それぞれでしょうから、一度は裁判所を訪れてみるのもいいと思います。少なくとも私は行かなければよかったとは思っていません。行くもいかないも個人の自由です。
それでは、また!