と、下の記事を叩いている人は思っているのではないだろうか。
男のヒーロー
筆者の主張によればプリキュアのとあるエピソードを元に、歴代の戦隊もののレッド(主人公?)を女性がやったことがない事を疑問に思ったとの事である。
また、今現在もジェンダーに関する議論が徐々に広まっている中で、あえて新しい事に挑戦するんなら、この国のジェンダーに対する問題に昔ながらの固定観念を捨て「女性主人公の特撮もの」という一石を投じ新たな指標を示すのもいいのではないかというような事なんだと思う。
記事の最後には以下の言葉が書かれていた。
※40年も前に女性リーダーのロボットアニメを作っていたタツノコプロの先見性をほめるべき。後、思ったとおり、現在この記事には「女性レッドなんて売れない」だの、「子ども向けの番組にジェンダー教育を絡めるな」だの否定的なブクマが集まっています。この国の限界って僕がいってるのはまさにそこ。戦隊ヒーローの象徴は、女性では成立しないものなのか?という発想や思考さえできない僕や周囲の固定概念を指して「この国の限界」って、僕は言っているの。分かる?
どうやら、記事に対して批判的なコメントが集まっているようで、「分かる?」と筆者が最後に締めているあたり、そこそこのイラっと具合が伺える。
イラっとするタイトル
私は筆者の言いたいことも理解できるし
そういうのも新しくてありなんじゃないかと思った。
しかし、まずこの記事を読んで最初に感じた感想はそうではなかった。
「この国の限界って何?別に問題ないのでは?」
なぜかわからないが、反論したくなるタイトルである。
自分の考えを述べるのは分かるし、尊重されるべきだとも思う。
しかし、この国の限界とか言われてしまうと愛国精神皆無の私でも多少反論したくなってしまう。
この国の限界(伸ばすための煽りタイトルであることは承知している)ではなくて、この国のフェミニズム(過激派ではなく本来の意味での男女同権主義)の可能性だと思います
ブクマでも指摘されている通り、どうやら煽り文句が想像以上に読者のお怒りに触れたらしい。
それを持って「限界」と大上段から大ナタ振りかざすのってさぞ気持ちいいだろうなあというくっさいエントリだった。そこが次の一里塚なのだろうに。老害かよ。
私の場合、
「何か言ってやりたいなぁ。でもうまくまとまらんなぁ。もう一回読みなおそっと。まぁ、わからんでもないかぁ。。。あれ、なんでイラっとしてたんだっけ?」
こんな感じで結局コメントはしなかったわけだが、もしパッと書いたら上のようなコメントになっていたかもしれない。
老害とか言ってしまうあたり、すでに議論ができる様子はない。
煽りに対して煽りで返せば、あとはいかに相手の揚げ足をとるかの話になってくるし、有意義な議論はもう望めない。
という事もあり、あくまで私は煽られても冷静を装うためにあえて時間をかけて推敲し丁寧な言葉遣いに直し、煽りは消し、相手の意見もわかるというスタンスの文章に戻す。
そうすると途中で面倒くさくなり心も落ち着いてくる
といっても、今になってようやく落ち着いた感じだが高校当時とかはよくユーチューブのコメント欄などで煽り合いをしていた。自分の意見を理解させようなんて、煽り合いの中ではできないし、ほんと時間の無駄だった。(無駄にイライラもした)
配慮しすぎるのも差別
とまぁ、ジェンダーについては配慮されるべきなのはわかるのだが、最近は意識するあまり不自然なほど配慮しすぎている気もしている。
確かに、気になる人同士なら話し合って辞めればいいと思う。
しかし、「みんなで一緒になくしていこうぜ」というような雰囲気が私は好きではない。
勝手にやる分にはいいが、こちらにもそれを求めてくるのは流石に窮屈さを感じてしまう。ジェンダー問題以外にも「外人」という言い方だったり、日本人が全体で配慮することではないと思う。
誤用だろうが、そもそも言葉は記号に過ぎないし「主人」という言葉一つとっても違和感を感じることに私は違和感を感じる。
※違和感を感じるには違和感を感じない人も多いのではないだろうか?
ジェンダーを意識した言葉の言い回しは気になる癖に、普段存在する言葉の違和感は無視できるのだから異常なまでのジェンダー意識をそこに感じてしまう。
そもそも私は、ジェンダー問題に注目することが悪いとは言っていない。
私自身、LGBTには一定の理解があるしみんな尊重されるものだとも思う。
「でも、配慮しすぎるのもそれはそれでその人たちに対する差別を感じるけど、どうなん?」って事。
私が言いたいのはそれだけ。
今回はこんなところで
それでは、また(^^)/