隣のおっさんがくさい

世に対して不平不満を言いつつも何とか楽しもうと試みる弱者のブログです。

会社の先輩がウザ~い!-社会に揉まれて-【愚痴投稿】

 

お久しぶりです。カオナシです。

 

今年はコ〇ナに始まり、私自身社会人になるなど、4月に入社してからというもの目まぐるしく時が過ぎた気がしますが、そんな中で私が今の会社の先輩に対して不満に思っている事を、記録としてここに書き残したいと思います。

※あくまで愚痴投稿なので、主観的な内容になる事は言っておきます。

 

自己成長の意味でも、自己否定して自分を見つめ直すことも大切だと思っているので、以下の事は全て自分にも非がある事は前提でお話しさせていただきますが、そうはいっても愚痴としてどこかに吐き出したいと言う感情の元、今回は筆を執らせていただきます。

 

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一回教えたことは二度といわない

「前、言ったよね?」という言葉。もちろん、何度言っても下(私)が同じ間違いをするという事であれば、このように呆れてしまうのも分からなくはないですが、右も左も分からない入社間もない私に対して、自分の教え方は棚に上げて、すべてこちらに非があるように言ってくるのは正直納得ができない。

 

そもそも、言葉のニュアンスって人によって違うし、共通認識を一致させる意味でも初めての事に関しては二度三度再確認するのは、その後の業務をスムーズに進めるためにも必要なことだと思うんだけど、これ、間違ってる?

 

共通認識の例を出すとすれば、「少し」という言葉でもその認識は人によってまちまちです。分かりやすいようにここでは「時間」の単位として、「少し」という言葉を使わせていただきますが、「少し待ってて」が5分の人もいれば、10分~15分の人もいるというのが認識の違いの例です。それは、時間の感覚以外にもすべての事で同じことが言えます。

 

つまり、お互い発している言葉は同じでも、その言葉の認識の仕方は熟練者と初心者でも違うわけで、必ずと言ってもいいほど認識のズレが生じるわけです。業務の出来に関しても、そこまで丁寧にしなくていいラインと、ここはこうじゃないと絶対にダメという線引き自体、経験が浅い時点では判断がかなり難しいです。

 

つまり、そのズレを埋めるためにも再確認として、もう一度聞くということが大切なのにも関わらず、それを「前、言ったよね」と小馬鹿にしてくるような先輩。

 

「そもそも、そんなこと言ってるけど。てめーは一回聞いたら全部一度で理解できんのかよ」

なんで自分の事は棚に上げて、人の事は悪く言えるのかなー。もちろん、「有能of有能」みたいな、1知れば10でも20でもそれを応用できるっていう上司がそんなことを言ってくるのであれば、無能側の気持ちが分からないという意味でも、まだしょうがないとも思うわけですよ。

でも、同じように聞いたことを忘れたりとかする癖に、自分の事を棚に上げて人を責める人は、一体どういう神経をしているんでしょうね。自分もそういう事があるんだから、「お互い様」とはならないのがほんと不思議です。

 

もちろん、私自身再確認の意味ではなく、単にメモを取るのを忘れていて同じ質問をしてしまう事もあるので、そういう時は素直に自分の非を認めますし、同じことがないように反省しています。

 

 教えるのが面倒なので、全部自分でやる

 最初の頃は、何が分かっていないのかも分からない、「分からないことが分からない」状態だと思うんですが、こちらが気づかない間に全部自分でやってしまう先輩もそれはそれで困ります。

その段階では特に困る事はないものの、大抵の場合はその後、教えてもないくせに、こちらがやるべきことをやってないという事に対して「なんでやってないの?」という雰囲気を出してきたり、直接言ってきたりするので、より質が悪いです。

 

過去に一度、本来であれば自分がやらなければいけないことを期日までに私がやっておらず、尻拭いを先輩がすることになった時があったんですが、そもそも私はその仕事自体を教えられていないしって感じで、先輩の横で、その業務について先輩の作業が終わりそうになるのを見計らって、その日は定時に上がりました。すると、次の日の朝、先輩「なんで、あの状況で昨日帰ったの?」とご立腹。

 

なら、なんで昨日こっちが帰ろうとしている時点で止めねーんだよ。こっちは、引き留められることも考えつつ、でも出来ることもないし、その業務は終わったみたいだし、もういいよねって感じで「お先に失礼します」って声かけたのに…

 

その次の日に言うなら、なんでその時呼び止めてくれないかな、ほんと。

自分が教えてなかったせいで自分の首絞めてるだけなんだから、こっちに不機嫌に当たられても困る(期日ギリギリになってから、急に仕事を振ってきて、こっちがパッパとできないと不満そうにするやつ。そもそも、仕事をするにしても始めるタイミングが遅いし、あらかじめそうなる事を予想して仕事をふらなかった自分の不手際を反省するべきなのに、自分の責任を押し付けんなって話)

 

まぁ、でも、あの時は「他にお手伝いすることありますか、ないようでしたらお先に失礼していいですか?」って前もって伺いを立てていればよかったと少し反省しています。

 

こんなのは知ってて常識だろ、と思っている。

その業界特有の暗黙の了解的なものを、世間の常識にするんじゃないよ。

そのくせ、そういう事について質問すると、「何聞いてんだコイツは?(半笑)」みたいな感じで鼻で笑ってくるから、最近はその人達にはあまり聞かず、別の部屋にいるやさしく教えてくれる先輩に毎度質問しに行くようにしています。今はまだましですが、入って三か月の間はほんとストレスがヤバかったです。碌に教えないから無駄に時間に追われて焦らさせることも多かったですし、今思えば「こう言ってくれてたら」って事が山ほどあったので、今後私が教える立場になった時は、その先輩たちを反面教師にして、後輩の精神的負担を少しでも減らせるようにしてあげたいと思っています。

 

「てか、入った当初は絶対お前らも分からなかっただろ、ふざけんな」

 

※追記

新入社員も入ってきて、2年目の私も一応先輩という立場になったんですが、先輩になった今でも、後輩が何か間違えたり、上手く業務を遂行出来ないのは先輩である自分の教育が不十分だったかもしれないという問いは、常に持っています。

 

 説明を省くので、結局何度も聞き返さないといけなくなる

 こちらの能力不足もあるとは思いますが、それよりも教え方にだって問題があると私は思っています。中には、部分部分で教えるだけで、体型的に教えることをしないというか、相手が理解してくれるように話すというよりかは、「ここ押して、ここ押して、ここ押したらいけるから」みたいな、簡素な説明で、説明した気になっている先輩もいます。

 

そうすると、そういえばなんでこうなるんだ?って時に、再度質問するんだけど、自分の業務で忙しくて説明するのがめんどくさいからか、「前言ったよね?」のコンボがきたりします。(他にも、どこか話しかけるなオーラが出ている、口調がきつく、すぐ話を切り上げようとしてくる等で質問自体がしにくくなるという事も多々あると思います)

そうすると、こっちも聞くのがだんだん面倒臭くなってくるから、なんとなくでやって、後に修正するように注意を受けて、という非効率な事も時に起きたりします。(これは、曖昧な状態で進めてしまう自分も良くない部分がありますが)

 

たしかに、全く説明をされていないわけではないが、その説明だけではこちらの理解が追い付いていないし、教える側も、こちらが何を分かっていないか分かろうとしない事には、そもそも話にならない。

 

ゆとり世代って事で、最近の若い者はって言われることもあるけど、全部が全部新人のせいって風潮はホントおかしい。下の引用みたいに先輩の教育能力のなさもあるだろってな話だし。

教育能力のない奴は判定テストとか受けさせて新人に触れないようにさせるべき。
そんな奴に教育係やらせても企業も新人も得しないと思う。ほんと、新人が辞めるのは100%新人が悪いって風潮だからなんとかしてもらいたい。

 

抽象的な指示で、責任逃れをする

これも責任逃れをしたい先輩あるあるなんですが、自分が何か失敗した時などに、『〇〇にそのように指示された』と上に言われたくないためか、こちらの質問に対して『そこは現場で臨機応変に上手い感じでやって』とか、こちらが具体的な回答を求めているのに対して、曖昧な答えで誤魔化そうとしてきます。分からないのであれば、素直に『自分は分からないから、もっと上に聞いてみるわ。』とか『それについては自分よりも先輩の〇〇さんに聞いてみた方がいいかも』って言ったらいいのに、それをしないので、こちらも下請けに的確に指示をが上手くできないというような事も起こります。しかし、その先輩の顔もあるので同じ部屋にいる他の先輩に同じ質問をするというのも、喧嘩を売ってるようで気が引けますし、担当者でその嫌な先輩が担当になっている業務などについては、他の先輩らが把握してないこともあるので、質問しても『あの先輩に聞いて』となるため、嫌な先輩に質問すること自体を避けることも難しい事があります。

 

 

 

バイトと社会人は全然違う

 そういう意味でも、社会人として会社で働くのと、学生でバイトで働くのは全然違う事が分かったし、人間関係に気を遣うレベルがバイトと社会人では段違いだったわ。

 

バイトだったら嫌だったら辞めよってすぐできるし、嫌な先輩との飲み会も、気にせず断ることが出来るし、「いつでも辞めれる」ってことがどれだけ精神的な余裕を産んでるのかって事が再確認できた半年でした。

 

ちなみに、今は芸能ブログで月5万くらいの収益が出ているので、それを伸ばしてゆくゆくは15万~20万稼いで、本職と副業で稼ぎつつ「こっちは、いつでも辞めれる」というような精神状態になれるように頑張りたいと思います。

辞める辞めないにかかわらず、「いつでも辞めれる」って状態に持っていければ、今の会社の嫌な先輩に対しても、感情を左右されないようになれると思いますしね

 

 

 それでは、また(^^)/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今を楽しむ方法

タイトルだけを見ると、なんとも安っぽい自己啓発本にでもありそうなタイトルですが、今回は抽象的な話をしつつ、自分の考えをまとめていきたいと思います。

 

その話に入っていくにあたって、まずは、人間が「○○をしたい」と思うの事について話をしたいと思います。

そもそも人間は、基本ストレスを発散するために行動を起こそうとします。厳密にいえば、ドーパミン、セロトニン等々の脳内麻薬を出すために、行動に移すと言っていいでしょう。

オナニーもそうですし、ゲームに課金するのも、脂っこいものが食べたくなるのも、どれもこれも自身の欲求不満を解消するためにしていると言えます。

InstagramやTwitter、私のやってるブログなんかも承認欲求を満たすためのツールにすぎません。

勉強を頑張るのも、サウナと一緒でストレスの先に、達成感と開放感が味わえるのを知っているからです。

つまり、苦痛を我慢する先にも快楽があるからこそ、人は行動に移せるという事です。

 

そこで、今回のタイトルの話になってくるんですが、今がつまらない、退屈に感じるならば、わざと自分から欲求不満になる環境を作る事をお勧めします。


というのも、人の欲求というのは際限がなく、一つを得ればまた一つと次が欲しくなるようにできています。仕事などでもそうです。高年収を得るためには資格の勉強など自身が成長する上では、とにかく上を目指すのは必要なことなんですが、悲しいかな、努力は必ずしもすべてが報われるとは言えません。

そんな中で、努力をし続けてももし仮に一切報われなかったとしたら、脳に多大なストレスがかかることは免れません。


それを回避する為には、上を目指す自分と今に満足する自分という2人の自分をバランス良く、使い分けていく必要があるわけです。

そこで、今に満足する自分を作るための方法というのが、意識的に生活水準を下げるという事です。

意識的に、下げることで今の良さが感じるという訳です。

 

戦争から帰還した人が、退屈な日々が一番幸せというように、幸せは相対的なものでしかないので、自分からわざとストレスを書けることで、今の良さを再実感することが出来ます。

※不幸を知っているから、今が幸せだと思える。今の日本人は生活水準が高すぎて、客観的に観たら幸せなはずなのに、すごい不幸

 


制限するものは基本何でもいいです


ネットを見る時間を減らす
オナ禁
禁煙
お菓子
ジャンクフード
趣味
よくく喋る人なら、一日しゃべってはいけない日をつくるとか

 

こんなことをしてもただ、ストレスを溜めるだけのように思えますが、人間の脳は凄い大雑把なので、我慢を続けると、その中で快楽を探せるようになってきます。


つまり、過酷な環境に適応するという事です


すると、全体的な基準が下がるので、今までは暇つぶしにやっていたことも今までよりも、楽しめるようになります。


私の場合は、オナニーがストレス解消法の主だったので、オナ禁をしたことで、他で欲求不満を解消するために、行動的になりました。また、口数も多くなり、体を動かしたくてしょうがなくなるので、自然と筋トレの時間も増えました。

これは、オナ禁のせいで解消できない欲求不満を他で解消するために、私の脳が別の快楽を求めているという事だと思います。


つまり、今を楽しみたいなら意識的に欲求不満を作り出すことをおススメします。最初は我慢する分ストレスもかかりますが、適応してしまえば、 周りの人が楽しめないことも楽しめる(快楽物質)が出るような脳に変化させることが出来るかもしれません。


簡単な人体実験じゃないですが、自分はそんなことをやってます


なんか、わかったらまた書きます

意図的にブス専になる事は可能か

 


異性の顔の好みとして、この人は可愛い、この人はカッコいいなんて思ったりしますが、黄金比という言葉はあれど、男友達と異性の顔の好みの話をすると、人によって、かなり差があるように思えるんですよ。


芸能人なんかも、私が可愛いと思った芸能人でも、友人の中には「別にそれほど可愛いと思わん」という人もいます。つまり、顔の好みは千差万別ということが以上のことからもわかります。


ここで、私は一つ疑問に思ったんですが、顔の好みは変える事が出来るのかって話です。


顔の好みというものが、先天的なものではなく、後天的なものでその人の環境によって変化しているのだとすれば、自分が思う好みの異性の顔も変える事が出来るんじゃね?と思ったわけです。


そんなわけで、自己暗示や洗脳でそれらしきことを調べてみたんですが、「顔の好みを変える方法」なんて出てこないんですわ


個人的にはスゴイ面白い試みだと思ったんですけど

 

難しいのかなー

 

だって、もし仮に今からB専になる事が出来たとしたら、一般人の大半は、男女関係なく私含めて普通以下が多いわけですから、その基準を下げることが出来たら、町中可愛い子ばっかりでめちゃくちゃ幸せになれそうな気がするんですよね。

 


美人の基準って、海外だと太ってる人だったり、また全然違うし先天的なものでないってだけで、なんとかできる可能性はある気がしてるんですけどね

 

ブスなav女優で一年間抜き続けて、その顔とドーパミンの快楽をセットに出来たら、街中でその顔に似てる人がいれば、性的に惹かれるようになったりとかしないですかね?

楽しいことがあるたびに、ブスな人の写真を見て、楽しい記憶とブスな人をセットにしたら、ブスな人に対していいイメージが、無意識的につくみたいなこと起きないですかね

 

 

まだ、全然考えてないんですけど、これ出来たら面白いんで色々考えてやってみようと思います

 

 

追記

毎日新聞の記事で、好きと思った時の脳に近い状態にすることで、その時に見せた顔を好きになりやすいみたいな事が書いてあったので、自分の楽しいこととリンクさせるってのは、あながち間違いでもないかもしれません

本来の自分になるために努力が必要っておかしくない?

http://orusoku.com/archives/24183444.html?p=1

 

------以下引用------

本来の自分であるってことは、自然体で実現できることであるはずなのに。発端は「自分が自分でないような気がする」とカウンセラーに行ったことだった。そしたらさ、タイトルの通りのこと言われたんだ「幸いにもあなたはもう虐待されていた頃のあなたではない。自分で自然な自分に戻るための努力をしましょう」って。そのまま生きていくのはしんどすぎるけど、しんどくない自分ってものがよく分からん。カウンセラーに言われた方向に努力して「理想の自分像」を演じ続けるのってそれ自体不自然じゃない?なんか必然性がないっていうか。理想の自分を演じるのも演じるでしんどくて八方塞がり。

 

-----以下考察-----

 

 

 

 

本来の自分ってなんだよって考えるから、話がややこしくなるんだとおもう。


理想の自分になろうとするのも自分だし
家で人には見せない自分も、自分である事には変わらないわけで。

この投稿者の、自然体であることが本来の自分であって、そもそも努力すること自体すごい不自然なことでは?という問いはすごいよくわかる。「これって、なりたい自分を演じてるだけじゃ?」ってので、それはそれで苦しくなるやつ。

じゃあ、そんな自分が楽になるにはどうしたらいいのって話なんだけど、自分としては科学的に考えるのと、自分を見つめ直す二つの方法を同時にやっていくべきだと思う。

 

科学的にってのは、そもそも鬱病とかもセロトニンとかドーパミン、ノルアドレナリンとかの脳内麻薬がうまく調整できてないから、漠然とした不安や動悸、極度の緊張、無気力に襲われるわけで、そこら辺調べて、脳の働きを正常に戻す方法を模索するべき。セロトニンの増やし方とかで出てくるけど

 

で、二つ目の自分の本心に気づくってのだけど人は、たびたび人の意見を、それが自分の意見だと勘違いしやすいってのがある。


親が、いい大学に行けって言ってきたとして、子供がそれをずっと聞いて育って、ある時から「自分は、いい大学にいきたいんだ」って思うようになった場合なんかもそう。
そうであるべきという価値観が外的要因になって、一種の自己暗示みたいになってる状態なんだと思う。「そう思いたい、そうあるべきだ」みたいな感じ


極端なことで例えると、本質がロリコンの人がいたとして、その人の中には、「私はロリコン」っていう自分と、「私はロリコンではない」と思いたい自分がいたとする。
で、私はロリコンではないと思い続けた結果、自分はロリコンが嫌いだって風に変化していって、最終的に、最初の自分とはかけ離れていくのなんかも、ストレスから自分を守るために、心がその部分に蓋をして、自分を騙してしまうことがあると思うんだよね。

つまり、本心に近づくってのは、「そう思いたい」っていう自分の心の動きに気づいて、もともと持っていた欲望に近づいていくことなんだと自分は思う。

それが、「働きたくない」とかでもそうだし、その欲望自体が社会的にいいか悪いかは別として、「そう思いたいってのを今までは自分の本心だと思ってたけど、自分は根の部分ではこう思ってたんだ」って、気付くための努力は必要なのかも

具体的には「〇〇をしたい」って思うたびに、これは本当に自分がしたいことか、周りに言われたからそう思うようになっただけじゃないのか、一個ずつ精査してけばいいんだとおもう

 

 

まぁ、適当に自分の意見を並べただけだけど

全部が全部、自分である事に変わりはないよね。

 

他者から見た自分なんかも、違うけど、それはそれで自分なんだと思うし

 

なんか、自分って言いすぎてゲシュタルト崩壊してきた、、

 

まぁ、自分が鬱病で悩む事になりそうなときは、これを元にやってみようと思ってますけどね

 

まぁ、うつ病になる前に自分は我慢がきかないんで、早々にその場を逃げ出すと思いますけど笑

 

自分も考えすぎって人からよく言われるので、うつ病になりやすい素質は持ってると自分で、危惧しているので、今回はこんなこともひとつ考えてみました。

 

まぁ、一言言えるのは睡眠不足だけは、気を付けましょうって話ですね。うつ病になる人の大半が、そこから不眠症になってとかで始まってる気もしますしね

 

議論はストレス発散の道具じゃない

 

自分は元々議論が好きで、よく自問自答して、一応その瞬間は納得できる答えというものを出すまで考え込んでしまう事が多いんですが、今回はなにかと話題のフェミニズムについて自分の考えをまとめてみたいと思います。

 

去年で言うと、宇崎ちゃんの献血ポスターのキャラの胸が強調されていたという事で「女性を性的なものとして見ている」、「そんなものを不特定多数の人が見える献血ポスターにするのはどうなんだ」という風な議論がネット上で熱く討論されていましたが、まず、ひとこと言わせてほしいです

 

 

 

ネット上で議論したがる人の大半は相手を打ち負かして悦に浸りたいだけ」って事なんですよね、騒動を傍観していた私個人の感想ですが、、、

 

 

このポスターを叩く人は叩く人で、大半がミサンドリー(男性嫌い)的というか、「これだから、男はきもい」ってひとばっかりのように見えるし、逆にそれを「ツイフェミ見つけた!」みたいな感じで、矛盾をついて論破する人たちも、その人たちはその人たちで単に、相手を論破して、自分の正当性を主張してストレス発散をしているようにしか見えないわけですよ

 

 

つまり、そもそもお互いが歩み寄ろうとしてない時点で、議論になってないんですよね

 

少年漫画のお互いの正義がぶつかって河原で殴り合って最後は和解して握手するみたいなのってありますけど、ネットのやつってただお互いに永遠と殴り合ってるだけなんですよね

 

で、さらに言えばそもそも「正論はバズらない」というか、炎上しません

 

それってつまり、悪目立ちしてるものしか私たちの目につかないってことです

 

炎上するっていうのは正直、ツイートそのもの自体に荒や矛盾があるために他方から文句を言われ、顕在化しているわけなんで、そもそもちゃんと正論を言っているフェミニストって、誰の目にも触れないんだなって思うわけですよ

 

だから、ネットで目立ってるフェミニストって大半が、フェミニストに成りすましたミサンドリスト(男性嫌い)なわけですよ。

 

まぁ、その人が過去に男性から性的虐待を受けたとかで、多少「男全体」に向けて私怨が入る事も分かるんですけど…

 

だから、大抵議論にあげられているフェミニストを名乗る人たちって自身を棚上げしたダブルスタンダードで炎上するし、悪目立ちもするから、そもそもその人たちを相手してる事自体時間の無駄な気もするんですよね。(前提として、その人達は議論が進む相手じゃないから)

 

その人たちは議論をしたいわけじゃなくて、大半は共感して、同情してほしいだけです

 

違う観点から言えば、それがその人の精神を保つ「正しい行動」なわけです。(※防衛規制ともいいますけど)

 ※自分の精神が壊れないように自己正当化する心の働き

 

でも、そんな人と議論しようとする人がいるから問題が大きくなってる気もするんです

 

 

だってそんなの、身の回りで言えば「ただ声がデカいから目立ってる」みたいなもので、そこに自分たちが正論をぶつけたところで、お互いに意味のない削り合いをしてるようにしか見えないわけです。

 

議論したい人は議論したい人たちだけでするべきだし

共感して欲しい人は、共感しあえる人たちだけで、共感しあうべきだし

 

お互いに干渉し合うべきではないんです

 

ここで、言っておきたいのは「正論をかます人」たちもある意味間違っているという事です。

 

 

「私は常識人です!」と声高々にツイフェミを叩く正義マンたちも正義マンたちで、ただサンドバックとして、相手をストレスのはけ口にしてるだけな気がしてならないです

 

やり取りを見てる限り、正義マンは正義マンで「お前バカだな(笑)」みたいな感じで最初から相手を見下してるようなツイートが多かったので

 

 

 

そういうの踏まえると、「議論」てそもそも自分の正しさを主張するためのものじゃないんだなって再確認できる気がします。

 

大切なのは、相手の立場になって、こちらの意見と相手の意見をそれぞれ聞いて、お互いが相手の立場になって考えることで、自身の一方的な被害者意識をなくすことだと思いました。

 

いうたら、これが相手の価値観を「許容」するって事だと思いますし。

もっといえば、「あきらめて割り切る」とも言えます。

 

その上で、お互いが公平になるように譲渡し合って、妥協案を出すっていう

 

 

でも、ネット上の議論って一方は「私は被害者!」って言い続ける人と、「お前は間違ってる!」っていう人がうんこ投げ合ってるだけなんで、一生平行線なんでしょうね

 

 

一緒にいちゃいけない人種ですわ、これ

 

 

そして、お互いの意見をある程度尊重できるサイレントマジョリティーの人たちは、ただ傍観を続けるでしょうし。(多少口を出したとしても、普通のことを言ってるだけなんで当然目立ちません)

 

 

 

って、いいましたけど私もその「正義マン」に度々なってしまう事があるので、今後そんなことが起きないように自責の意味でも今回筆を執らせていただきました。

 

 

以上です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どんな反応でも読者の声を聞けるだけでブロガー冥利に尽きる

 

こんにちは、カオナシです。

 

久しぶりに記事を見返していたら、こんなコメントが届いていました。

 

悲観的になるのもキモチに正直になれないのも
夜に寝て朝に起きれんからだぜ、それだけだ。
好きな女がいるなら、そいつの人生の一部になれば
互いに情が沸くもんだ。モテなんて要らねぇよ。
所詮、男と女は動物なんだから敬語も要らんぜ。
相手の社会性を壊さんように強気で行けばいいんだよ。
自分のなすこと全部ゴミ扱いじゃ報われねぇだろ?
理論じゃねぇ、直感でしかなんもできねぇよ
神か?所詮動物なんだ。
憧れられたい自分の形でも考えてみるこったな。
どうすれば誰が喜ぶかをよ。全部それだ。

悪気はないよ。
あまりに悲壮感出てて同情したんだ。

 

最初、これを見た時は「そんなの分かってるちゅーねん、ちゅーねん、ちゅーねん、中年男性」、「なんておせっかいなおじさんやで」なんておもっていた私ですが、よく読んでみると思った以上に私のブログを読んでくれているようで、私の事を同情しつつも理解してくれているようで、ひょんな拍子に理解者が見つかったような、ニッチな趣味を持つ同胞が思った以上に身近にいたような気持で、なんか嬉しくなりました。

 

まぁ、この人も私から同胞扱いなんてされたくないと思いますが(笑)

 

というか、このコメントで一番大事なのは「夜に寝て朝に起きれんから」ってとこですね。

 

これについては、なんだかんだ私も思うところがあって、以前、メラトニン(質の良い睡眠を送るうえで大切なホルモン)とセロトニン(幸せホルモンと言われる精神安定を促進するホルモン)等を調べる中で、生活リズムや日光なども関係がある事を知ったので、今の私にはまさにタイムリーな話なんですよ。

 

まぁ、それ以上に

足があるのは椅子以外なんでも食べるって揶揄される中国人ですら食わないであろう噛んでも何の味もしない私のこんなブログに同情心で、コメントを送ってもらったわけですが、

 

※うまい事言おうとして滑ってる事については、以下のような生暖かい目で見逃してください。

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悩んでへんちゅーねんって事は言いたい

 

 

いや、悩んでるんだけど。

そういう悩んでるって事ではなくて

 

私のは、あくまでポジティブよりの悩みなんですよ

Twitterとかによく「死にたい」とかいってリスカした写真載せたりするメンヘラ子ちゃんとかいるじゃないですか、そんなものとは一緒にして欲しくない。

 

 

私は、あくまで成長するために自分の考えを整理して、それをちゃんと言語化してみて、そのうえでどうすれば現状を変えれるか考えてるわけですよ。

 

よくいったら、ローマの哲学者みたいなもんですよ(良く言い過ぎだし、そもそも哲学者はそんなちっぽけなことで悩んでない)

 

あくまで、自分の芯を探すためのブログなわけで

 

それを、そんじゃそこらのなにも考えてないメンヘラと一緒にはして欲しくないわけです。(メンヘラに対するアツい風評被害)

 

 

 

 

もちろん、本来、外には出すべきではないゴミの部分をしっかり抽出して更にそれを、絞ってより純度の高いゴミをこのブログでは提供しているわけなんで、悲壮感もそりゃ漂ってるように見えるかもしれないんですけど、このブログはあくまで前向きな吐露である事は知っていただきたい。(現状維持なんてくそくらえ)

 

 

もちろん、言葉通り受け取ったら、「自分はゴミです」とか色々人生を悲観してるようなこと言ってますけど、実際は自分の事大好きですからね、私。

 

自分のこと好きすぎて、最近ではそんな自分に逆に引くぐらいなレベルにまで到達する勢いですよ。

 

 

あと、それでコメントに対して怒ってるってわけでもないことは言いたい

 

せっかく、そこまで理解してくれてるんだったらもう少し自分の考えを理解してほしい気持ちになったというか、私と同じような価値観を持っている人にだけでも伝われって気持ちで、いま、この記事を書いてます。

 

 

まぁ、モテたいって言うのも単純に自分の中で承認欲求が満たされてないからこそ起きる、脳のエラーだって事は分かってるんですけどね。

 

あと、なんだかんだ、自分の事を中二病なんだって思いますけど

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っていつも思ってます(笑)

 

 

ほんと、ブログって面白いわー

 

読み返したときに、まるで他人が書いたみたいなあの感覚

その感覚がほんとに面白い。忘れた頃に見返すと、「こいつ分かってるなぁー」って思わず自画自賛しちゃうし。(さらに、その記事に思ったよりもスターがついてると周りにも記事の良さを認められたようで、ナルシズムがさらに捗ります)どうしても、記事を書いた自分と今の自分が連続してるとは思えない不思議(笑)

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※マンガ「セトウツミ」一巻の最初 

 

この中では、おじさんである自分と若い自分が連続してるとは思えないって話をしてるんですけど、ブログもなんか自分であって自分じゃない感覚が味わえるんで、ほんと最高です。

 

これは余談なんですが、以前、本かなんかのアマゾンレビューで「この人、良く考察できてるなぁー」って思ったら、自分のレビューだったていうことがあったんですけど、昔の自分の文章を見て感心してる今の自分という構図が、なんかすごく滑稽で笑えたって事もありました。

 

 

こういうのも含めて、自分の考えをネットに残しとくのってなんだかんだ面白いですよね

友人同士で遊んだ時の写真を見返したときとかもそうだし

 

まぁ、文章は特に黒歴史にもなりやしいんだけど(笑)

 

 

 まぁ、今回はこんなところで

 

 やっぱ、夜中でオナ禁進んでる日は筆がはかどりますわ

 面白くないのはデフォとして、なんかふざけたい欲が止まんないんですよね

 

って、ダジャレが止まらない質の悪い中年男性と同じやんけ!

 

てなわけで、最初の「ちゅーねん、ちゅーねん、中年男性」がここにきて、ボディブローのように効いてくるわけですよ。

 

え、効いてこない?そんな、バカな話あるかいや

 

ってなわけで、ほんじゃ、また

 

 

 

 

 

 

死体の記念撮影

 

 

※話まとまらな過ぎて、うまく言語化できなかったので自分の考えが雰囲気だけでも伝わったら御の字です。うまく言語化できるようになったら、また書き直します。

 

こんにちは、カオナシです。

 

今日は、Twitterで現在物議をかもしている死体画像の拡散について考えてみたいと思います。

 

 

私も、この騒動を見た時は「日本ヤバいな」なんて思っていたんですが、よくよく考えてみると、それはそれで固定観念にとらわれているだけではないかという風にも思えてきたので、今回は自分の考えをまとめるために一つ筆をとらせていただきました。

 

そもそも、この議論の論点は「死体を写真で撮ってネットで拡散するのは倫理的にどうなの?」という所にあります。

 

しかし、これを、理詰めで考えるとなると非常に難しい問題です。

 

と言うのも、人はそもそも昔からゴシップが大好きだからです。昔で言えば、おばさん同士の噂話なんてのがそうです。「あそこの家のお子さんは働いてない」だの、「あそこのお宅の娘さんは子どもがうめないらしい」など、近所の話に限らず、話のネタは仕事先や子供の学校など多岐にわたります。今回の騒動に関しても、それがスマホと言う現代機器を介してエンタメの一つとして消化されているにすぎないように私には思えてなりません。(それはエンタメだけには留まらず時にジャーナリズムというような解釈までされます。)

 

つまり、今の日本だからという事ではなく人は元来そういう性質を持っているという事です。今回は、それがスマホの登場によって元々出来なかったからしていなかったものが出来るようになったことで目に見えて顕在化したという事にすぎません。

 

そして、これは死体にカメラを向ける人たちと、向けない人たちで白黒別れる問題ではないようにも思います。芸能人のゴシップに然り、人は元来人のうわさ話が好きです。つまり、カメラを向ける人たちは、あくまで私たちの延長線上にいるようにも思えるんです。程度の差はあれど

 

 

 

そんな中、写真を撮る人を批判する人を批判する人まで出てきたわけなんですが、これを踏まえると、少なくとも私はどちらの言い分も分かる分なんも言えなくなりました。

 

写真を撮るのを一方的に感情論で押さえつけようとするのは思考停止でダメだけど、中には人の死さえもエンタメとして消化しようとする人たちがいるのも事実なので、それはそれで肯定することは出来ないわけで、、、、

 

こんなことを言うと、以前、芸術を語って天皇の像かなにかを燃やす映像を作っていた騒動(うろ覚え)なんかも思い出しますが、みんなが見えるところでそれをするのはいいのかどうかという話にもなってきます。

 

 

ここまでくると、テレビに引き続きネットでさえも表現を規制する必要が出てきそうなので、時にはネットからも離れることも必要になってくるように私は思います。

 

クレームが入って、どんどん表現の幅がせまくなり今ではクイズとグルメばかりになったテレビしかり、中にはクレームを入れる人たちに「文句があるなら見るな」という人たちもいます。

 

それは、今後ネットにも言えることで今回の事もカメラを向ける人たちに批判を寄せること自体が、無意味な気もしています。いうならば、近所で噂話をするおばさんたちに「それは倫理的にどうなの?」と言っているようなもので、今回はそれがネットを介して行われていたにすぎません。

 

では、あくまで個人で楽しむのは勝手だとしてもそれをネットで拡散するのはどうなのかという事ですが、それは見たくない人は、自分で情報が入ってこないように対処するしかないように思えます。

 

そもそも、現代人がそのように変化を遂げたのではなく、昔から持っていたものがより顕著になったと考えるならば、否定し押さえつけようとすること自体が不可能です。

 

知る人ぞ知る、ポッカキッドなんかもそうです。

知らない人の為に説明すると、ポッカキッドと言うのは世界中の残酷な事件などを紹介しているグロサイトなんですが、それが、グーグルのトップ画面に来るようになり誰の目にも触れるものになったとして、それに文句をいうのは簡単ですが、ただそれに文句を言い続けるのはテレビにクレームをつける人と一緒で「嫌なら見なければいい」という風にも言えます。ただ与えられる情報に対して、文句を言うだけならだれでも出来るわけですから、今後は自分で情報を制限して、いらない情報は、入ってこないようにする知恵もそれぞれでみにつけていかなければいけない時代が今後は来るかもしれません。

 

ですから、今回の事は撮る人も、それを批判する人もそれぞれ考える必要がありそうです。

 

撮る人は撮る人で、倫理観を抜きにして考える事を放棄すれば人間ではなくなってしまう気がしますし。それを批判する人はする人で、元来人はむかしからそうだったということを理解するとともに、ただ口を開けて情報を受け身で入れ続けるのでなく、いやな情報は入ってこないようにする工夫もそれぞれでする必要があるという事も考慮しなければいけないという事です。(お互いに議論することももちろん大切)

 

昔から、野次馬という存在はありましたし、それを変えようとする流れは自然の摂理に逆らっているようにも感じたので、その違和感と共に今回、色々自分の考えを書かせていただきました。

 

つーわけで、私も死体の話を記事のネタにしてる時点で、死体の写真をエンタメとして消化する人たちとなんら変わらないつー事だけは言っておきます。(戒めの意味も込めて)

 

誰が正しくて、誰が間違っててなんてことを弱冠22歳の生臭坊主が、言うつもりはありませんが、思考停止は危険だという事は分かっているので、今後も客観性を持ち続けられるように考え続けていきたいと思います。

 

己の正しさを疑わない事がどれだけ危険なことかも少しは分かっているつもりなので

 固定観念にとらわれて、同性愛を差別する人とか

殺人を正当化した戦争とかね

 

自身では自分が正しいと疑わない分、奇麗事言っている人の方がより質が悪いなんてことも起こりうるしね

 

今回は、こんなところで